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   <title>パートナーズ・ブログ</title>
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   <updated>2023-12-05T03:57:20Z</updated>
   <subtitle>エグゼクティブ・パートナーズのメンバーが様々な分野の事柄をブログ形式でご紹介していきます。</subtitle>
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   <title>マイ川柳Ｉ2023年 年末編</title>
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   <published>2023-12-05T03:48:42Z</published>
   <updated>2023-12-05T03:57:20Z</updated>
   
   <summary>マイ川柳Ｉ2023年 年末編 （顧問　松波正巳）...</summary>
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      マイ川柳Ｉ2023年 年末編

（顧問　松波正巳）
      コロナ禍で　日々の暮らしは　闇（八十三）の中　　…八十三歳

淀川にゃ　塩が無いよと　鯨逝く　　　　　…淀川への迷い鯨死ぬ

刑務所が　賄賂に溢れて　刑無所だ　　　　…フィリピン刑務所

安倍を見て　岸田もやれると　筒を投げ　　…岸田総理への暗殺未遂

自らを　守れずヘリは　海沈し　　　　　　…自衛隊ヘリ墜落

中学で　殺しと盗みを　教えます　　　　…殺人・窃盗で中学教師逮捕

猿芝居　自殺幇助の　技は冴え　　　　　…市川猿之助両親殺害後自殺

気に入らぬ　奴から順に　殺ってやる　　　　…立て籠もり銃撃事件

目立つため　ダイブもするぜ　れいわ馬鹿　　…れいわ山本議員

洋上で　馬を飼うこと　出来ません　　　　　…秋本議員賄賂

日大は　麻薬の飲み方　教えます　　　　　　…日大生麻薬事件

ＢＭは　ＢＩＧがＢＡＤに　に変身だ！

また、四位　勝てない巨人に　腹（原）が立（辰）つ

⒌三馬　これで八冠　ありがとう　　　　　　…藤井壮太八冠王

ピアノ未だ　売りませんから　逝かないで　　…財津一郎逝去

炎天下　生きてるだけで　褒めてくれ

夏過ぎて　冬来(きた)るらし　秋は無し　　　　　　…猛暑の次は冬

春来（東樹）ても　遅過ぎないぞ　未だ逝くな　…佐藤東樹氏逝去

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   <title>当社協賛で「ベトナム・ハイフォン市投資セミナー」が開催されました</title>
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   <published>2015-10-26T11:40:00Z</published>
   <updated>2015-10-26T16:16:08Z</updated>
   
   <summary>主催　ディンヴー工業団地株式会社 協賛　㈱NCネットワーク、㈱エグゼクティブ・パ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.e-partners.co.jp/blog/">
      主催　ディンヴー工業団地株式会社
協賛　㈱NCネットワーク、㈱エグゼクティブ・パートナーズ
後援　一般社団法人　企業研究会
会場　10月6日　東京　明治記念館、、10月9日　大阪　リーガロイヤルNCB
 

      <![CDATA[一段の外資投資規制緩和を背景に日系企業のベトナム進出は勢いを増してします。

両会場に多数のご参加を頂き、産業インフラ開発が進むハイフォン市とディンヴー工業団地の現状と将来見通しをご紹介いたしました。

<img alt="ハイフォン人民委員会　副委員長　レー タイン ソン氏" src="http://www.e-partners.co.jp/blog/photo01.jpg" width="570" height="427" />
ハイフォン人民委員会　副委員長　レー タイン ソン氏

<img alt="ディンヴー工業団地㈱　フランク・ウォーター氏/同　日本ゼネラルマネージャー　土屋　博一氏" src="http://www.e-partners.co.jp/blog/photo02.jpg" width="570" height="427" />
ディンヴー工業団地㈱　社長 フランク・ウォーター氏
同　日本ゼネラルマネージャー　土屋　博一氏

<img alt="東京会場の様子" src="http://www.e-partners.co.jp/blog/photo03.jpg" width="570" height="427" />
東京会場の様子


当日資料がご必要は場合は弊社理事　湯元、秋元までご連絡下さい。

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   <title>日本私立大学連盟「大学時報」3月号に寄稿（加用理事）</title>
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   <published>2015-04-06T01:50:41Z</published>
   <updated>2015-04-06T01:55:27Z</updated>
   
   <summary>弊社の加用理事が日本私立大学連盟「大学時報」3月号に寄稿いたしました。 詳細は下...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.e-partners.co.jp/blog/">
      <![CDATA[弊社の加用理事が日本私立大学連盟「大学時報」3月号に寄稿いたしました。

詳細は下記リンクよりご確認いただけます。


<a href="http://www.shidairen.or.jp/activities/daigakujihou/index_list/no361" target="_blank">特集　私立大学のガバナンス改革ー学校教育法改正を越えて
改正学校教育法施行にあたっての一考察</a>


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   <title>マイ川柳　2013年　年央編</title>
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   <published>2013-09-27T07:59:58Z</published>
   <updated>2013-09-27T08:06:29Z</updated>
   
   <summary>マイ川柳　2013年　年央編 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 　　...</summary>
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      マイ川柳　2013年　年央編

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（顧問　松波　正巳）
      ・山間で　火をつけ殺め　句をひねり　　
　　（火をつけて　煙喜ぶ　田舎者）　…　山口で連続殺人

・空揺れて　警報空振り　から騒ぎ　　…　気象庁大地震誤報

・唐突の　避難訓練　「誤」ではない　…　　　〃

・新宿の　女が夢を　閉じて散り　　　…　藤圭子転落死

・復興に　向けた闘志が　五輪決め　　…　東京五輪開催決定

・台風が豪雨（ｱﾒ）・竜巻(ｶｾﾞ)・酷暑さ(ｱﾂｻ)の仕上げする　…台風18号


　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
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   <title>マイ川柳　2013年　前半編</title>
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   <published>2013-08-02T04:28:55Z</published>
   <updated>2013-08-02T04:46:59Z</updated>
   
   <summary>マイ川柳　2013年　前半編 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　...</summary>
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      マイ川柳　2013年　前半編







　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（顧問　松波　正巳）
      ・冬眠の　蛇、目を覚ませ　春を呼べ　…　癸・巳

・誕生日　平均寿命に　あと何年

・セカンドは　大概（タイガー）ウッズ　でも乗らず

・鈴でなく　ウィルス付けた　猫の首　…　遠隔操作ハッカー

・レスリング　IOCにフォール負け

・隕石が　どうだ！と原爆　馬鹿にする　　…爆発力、広島の30倍

・トップ替え　白・黒つけて　国興せ　…　日銀総裁白川→黒田

・三保の松　天女が舞って　遺産決め　…　三保の松原世界遺産

・試合でも　理事長寝技を　範とせよ　

・囁きで　遅れとるなと　デモ競い　…　エジプト、トルコ、シリア、ブラジル等々

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　


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   <title>御社のシステムは大丈夫ですか</title>
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   <published>2012-11-06T06:49:01Z</published>
   <updated>2012-11-07T01:11:01Z</updated>
   
   <summary>御社のシステムは大丈夫ですか ０．はじめに 　①最近、システムに関するトラブルが...</summary>
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      御社のシステムは大丈夫ですか

０．はじめに
　①最近、システムに関するトラブルが話題になっています
　　－特許庁：５０億円強の被害、スルガ銀行：６０億円強でＩＢＭと訴訟
　　－マスコミに取り上げられないトラブルも、多発しています
　②各種トラブルは以下のことが大きな要因です
　　－ＩＴ技術の急激な進展で、利用技術者が追い付いていない
　　－各企業に対応可能なシステム技術者・管理者がいない、または、育っていない
　　－ベンダーは、技術オタクで、客の業務を理解できないし、理解しようとしない
　　－オープンな技術でマルチベンダーの商品を使いこなす自己責任の時代
　　　　→ ベンダー製品も頻繁に改定されるため、整合性をとるのは至難の業
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（顧問　松波　正巳）


      １．システムコストに満足していますか？
　①経営に見合ったシステムコストになっていますか
　　－システムのコスト・効果についての報告に満足していますか
　②サーバー等の機器の更新時に膨大なコスト・期間を要していませんか
　　－数百万円のサーバー更新に数千万円・数ヵ月を要している例がよく見受けられます

２．システムは安定していますか？
　①システム障害で業務が滞るようなことはありませんか
　　－日常業務が阻害されるようなことはありませんか
　　　　→ 請求・入金に齟齬が出たことはありませんか
　　－月次数字が遅れることはありませんか
　②ネットワークセキュリティ対策は充分ですか
　　－貴社のセキュリティリスクの明細やどの程度のものかご存知ですか
　③Ｊ－ＳＯＸ等の観点から問題点の指摘を受けたことはありませんか

３．ベンダー対策は充分ですか
　①ベンダー見積もりに満足していますか
　②ベンダートップと定期的に面談していますか

４．弊社の対応…豊富な実務経験者による的確なアドバイス
　①現状のヒアリング…問題点の本質を指摘
　②問題解決のための方策の提案
　③日常実務に沿った指示とアドバイス
　　－トラブル解決策
　　－システムの管理方策の提案
　　－ベンダー対策の指示等　　　　　　　　　　　　　

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（以上）


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   <title>マイ川柳―2012年　世相編</title>
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   <published>2012-07-24T08:37:21Z</published>
   <updated>2012-07-24T09:21:31Z</updated>
   
   <summary>・早や一年　瓦礫押し退け　寒椿  ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.e-partners.co.jp/blog/">
      ・早や一年　瓦礫押し退け　寒椿 



      ・他人より　自腹のポリープ　摘み出せ　　　　　　〜オリンパス〜


・寒（菅）過ぎても　野にも谷にも　春は来ず


・憂哀（友愛）の　伝書鳩など　イランわい　　　　〜鳩山元総理〜


・彼の国じゃ　衛星地を這い　水潜る　　　　　　　〜北朝鮮〜


・騒ぐなよ　もう幕を引け　小石亀　　　　　　　　〜小沢、石原、亀井〜


・去る居士（サルコジ）に　どいつ（ドイツ）もこいつも　知らん顔


・大臣に　なってない人　手を挙げて　　　　　　　〜内閣再再改造〜


・山・谷に　挟まれ泥鰌　息ゼェゼェ（税税）　　　〜山口・谷垣〜


・節電で　売上減ったと　値上げする　　　　　　　〜東京電力値上げ〜


　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 (作：顧問　松波　正巳）


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   <title>「営業の原点を知ることは、人生の財産となる。」</title>
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   <published>2012-06-14T04:24:27Z</published>
   <updated>2012-06-14T04:31:27Z</updated>
   
   <summary>はじめに――「営業の原点を知ることは、人生の財産となる。」 　この本を手にとって...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.e-partners.co.jp/blog/">
      はじめに――「営業の原点を知ることは、人生の財産となる。」
　この本を手にとって下さった方々は、営業という仕事に対して、次のような疑問や悩みをお持ちの方だと思う。
・営業部に配属されてどう動けばよいかわからないでいる
・結果が出なくて苦しんでいる
・ノルマがきつくて大変な思いをしている
・なかなか大きな成果が出せない　　　　　　　　　　　　　　　（理事　津田晃）


      　私も野村證券に入社後の研修が終わった時、分厚い高額所得者名簿と商工会名簿を渡され、「ここから、お客様を見つけてこい！」と言われた時は、「とんでもない会社に入ってしまった」とショックを受けた。
　最初の一年位は毎日、辛い気持ちでいっぱいだった。後ほど書くが、営業成績が上がらず、「もう会社をやめよう」と思ったことが、何度もあった。
　そんな日々の営業活動をするうちに、たった一つのことを意識するようになってから、少しずつ結果を出せるように変わっていった。
　そのこととは、お客様に「信頼される」ということである。
　当たり前じゃないかとご指摘を受けそうだが、このことをどこまで掘り下げて、とれだけ真剣に取り組むかが、成果を上げ、お客様と長い付き合いのできる営業マンになれるかのポイントになると断言できる。
「信頼される」ためには、お客様の欲していることを洞察する、質問に的確にアドバイスできるように勉強しておく、約束は必ず守る、迅速に報告する、手抜きをしないで努力している―などが求められる。
　そして「信頼される」の前提になるのが、「好かれる」ことである。
「好かれる」ためにもいくつかある。第一印象がいい。感謝の気持を忘れずに、相手のために労を惜しまない。お客様とお会いして時間をいただいた時、お礼の手紙をすぐに出す。相手に困ったことや知りたい情報があった時、すぐに調べてお伝えする。自分の体調が悪かったり、プライベートで辛いことがあったりした時でも、嫌な顔を見せずに相手と話す―あなたへの好感の良し悪しは、こんな些細なことからも生じる。
　これらの行動は、営業マンとしてだけでなく、人間として当たり前のことだが、できそうでできていない。ただ営業マンでこれができる人とそうでない人では、すぐ結果に違いがでるから、できる営業マンは必死になって行動を変えようとする。このことが人生の大きな財産にもなっていく。
　
　もう一つ、私自身、営業という仕事の本質を知らなかったころは、「売りたくないものを売るのが営業」と勘違いしていた。　多くのビジネスパーソンに、営業という職種が不人気な理由は、この無知によるものだと思う。
　一番の誤解は、営業と販売の混同による。営業はソリューション・ビジネス―つまり、お客様の問題を解決する仕事と言える。一方、デパート等で福袋などを売りさばくのは営業ではなくて販売である。
　真剣に営業という仕事と向き合えば、クリエイティビティとコミュニケーション能力が同時に要求されることに気づくだろう。たから一流の営業マンは、転職しても、売るものが何に変わろうとも、良い成績を上げる。このことは売り場でプロといわれるクラスの店員や店長の場合でも同じで、必ずいい顧客をつかんでソリューション・ビジネスをしている。つまり、この人たちはどんな時代がきても一生食べていける。
　これからますます各企業とも、営業力が求められるのだから……。

　私が仕事の信条としている言葉に、「駑馬十駕（どばじゅうが）」という中国のことわざがある。「駿馬（しゅんめ）は一日で千里を駆けることができる。しかし駑馬（のろい馬）でも、十日もかければ同じことが可能になる」という意味だ。
　たとえ歩みは遅くても、努力すれば、必ずいい結果が得られる。
　この本を読んでくださったあなたが、勇気をもって、つねに前を向いて仕事に取り組んでくれたら、これ程うれしいことはない。
　精神的にも、経済的にも、あなたの豊かな人生に向かって、乾杯！

2012年　6月　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　津田　晃


津田理事近著「営業マンの君に勇気を与える80の言葉」より㈱かんき出版のご許可を得て転載しました。

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   <title>励みこそ生きる道　－20代をどう生きるか</title>
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   <published>2012-04-11T03:42:14Z</published>
   <updated>2012-04-16T04:57:34Z</updated>
   
   <summary>　昨今の厳しい経済情勢下、希望する会社に就職できずに悩んでいる若い人は多いだろう...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.e-partners.co.jp/blog/">
      　昨今の厳しい経済情勢下、希望する会社に就職できずに悩んでいる若い人は多いだろう。私が就職した四十年前といまでは随分事情も異なるが、本来の希望とは異なる道を歩んできた私の体験は、なにがしかの参考になるのではなかろうか。(理事　津田晃）
      　私は商社で活躍していた父の勧めで商社マンを志し、早稲田大学の商学部へ入学した。在学中に広告にも興味を持ち、就職先は大手商社か電通に絞り込んでいた。
　就職活動の時期、親しい友人の一人が日本脳炎に罹って出遅れ、彼には昭和四十年不況の煽りで不人気だった証券会社くらいしか求人は残っていなかった。彼から頼まれて野村證券の大学ＯＢとの懇談会に付き合いで参加したところ、後でＯＢの一人からご連絡をいただいた。証券会社はこれからバラ色だ、と熱心に入社を勧められたのだ。無下に断るわけにもいかず、ゼミ担当の教授に相談してから返事をすることにした。
　貿易論の教授からは初志を貫いたほうがよいと言われたが、広告論の教授の見解は違っていた。海外事情に詳しいその教授は、アメリカでは証券ビジネスが急成長しており、いずれ日本もそうなるだろうとの見解を示され、どうせ選ぶなら自分を求めてくれる会社がよいと勧められた。私はそのアドバイスに心を動かされ、それまで考えもしなかった野村證券への入社を決意したのだった。
　ところが入社後の仕事は、最初にイメージしていた顧客の資産管理の仕事とは大きく異なっていた。研修が終わるや分厚い高額所得者名簿と商工名鑑を渡され、これを見て自分でお客様を探してこいと命じられショックを受けた。案の定、訪問先では「証券会社なんて縁起が悪い」などと罵られ、塩を撒かれたり、名刺を目の前で破られたりと散々な目に遭った。
　大変なところに入ってしまった……。
　悩んで入社を勧めてくれた教授のもとへ相談に行った。その時いただいた言葉はいまも心に残っている。
「人生は、踏み切る、割り切る、思い切るの三切るだ。踏み切ったらまずは割り切って一所懸命やってみなさい。それでダメなら思い切ればいいじゃないか。君は踏み切ったばかりでもう思い切ろうとしているが、それはまだ早い。もうしばらく割り切って続けてみるべきだ」
　私は原点に返って仕事に打ち込むことにした。
準備が自信を生む
　運がよかったのは、配属された支店にしばらく新人が入らなかったため、先輩方から随分かわいがられたことだ。
　当時の野村證券はダイヤモンド経営というのを標榜していた。ダイヤモンドが様々な角度からカットされ、たくさんの断面を持つからこそ美しい光彩を放つように、野村證券にも個性豊かな人材が集まっていた。先輩方に心を開いて教えを請うと、いろいろな角度からアドバイスをもらうことができ非常に勉強になった。
　ある時先輩から、株や債券の営業をするからには『会社四季報』くらいは覚えていけと言われた。当時でも二千数百社くらいのデータが収録されており、とにかく分厚い。私は毎日三枚（六ページ）、十二銘柄ずつカミソリで切り取り、通勤電車の中で懸命に覚えた。三か月で読み切ると新しいものを買ってまた一から読み返し、一年で大体頭に叩き込んだ。併せて有名な『酒田五法は風林火山』など、相場の本も多数読み、専門知識の習得に努めた。
　勉強が進むにつれ、お客様から聞かれたことに対してほぼ的確なアドバイスができるようになり、「よく知っているな」と褒めていただくことも多くなった。しっかり準備して臨むと、それが自信に繋がることを実感した。
　ある上場企業の社長は、いくら足を運んでもなかなか面会の機会をいただけなかった。その日も面会を断られて辞去しようとすると、秘書の方が「津田さん、いつも申し訳ございません」と声を掛けてくださったのだ。この方はもう私の味方だと直感し、すぐに菓子折を持参して改めてお礼に伺った。
　その時に「これを毎日社長様の机に置いていただけませんか」と私の名刺の束を渡しておいた。彼女はそれを忠実に実行してくださり、ある日とうとう面会の許可が下りたのである。その時は、日頃から準備していた地元企業に関する情報を提案して気に入られ、以来親しくお付き合いいただけるようになった。
　その社長からある時、いつもバタバタと走り回っていることをたしなめられ、「自分の指を嘗めてそれが乾くまでの間でいいから、一日を振り返って反省する心のゆとりを持たなければダメだ」と諭された。
　私は行く先々でそうした貴重なアドバイスをいただいた。私がいまあるのは、そうした一つひとつの教えのおかげであり、皆様にはいまでも深く感謝している。
大きな仕事と取り組め
　学生の時、広告の仕事を志していたこともあり、電通中興の祖と謳われた吉田秀雄さんの「電通鬼十訓」には深く心酔し、指針としてきた。後にベンチャー企業育成の仕事に携わった時には、経営者の皆さんにしばしば十則を紐解き、このうち七つ実践できれば絶対に公開できると説いた。
　十則の三つ目に、
「大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする」
　とある。ただ会社に来て漫然とやっていてはいつまでも仕事は発展しない。大きな目標を掲げてそれに挑戦してこそ成長できるのだ。
　私は当初、株式で百万株、債券では五億円を一回の取り引きで成約することを目標に営業に打ち込み、いずれも達成することができた。後に株式で二千四百万株、債券で二百五十億円といった記録的な実績を上げることができたのは、そうした心掛けの賜物である。
　大きな注文を取ろうと思えばその分苦労も大きい。大物顧客に一所懸命手紙を書き、夜討ち朝駆けで訪問を繰り返し、時に怒鳴られながらもなんとかチャンスを掴もうと知恵を絞り、工夫を重ねる中で自分が磨かれていくのである。
　そうした向上心を持って臨めたのは、会社に営業の神様と呼ばれ、後に社長も務められた田淵義久さんの存在があったことも大きい。
　残念ながら一緒に仕事をさせていただく機会はなかったが、直属の部下だった先輩のはからいで一度食事をご一緒したことがある。その時田淵さんからいただいた、「営業は断られるところから始まる。そこで一所懸命やるところに価値が生まれる」
　との言葉には深い共感を覚えた。
努力を続けた者こそが勝利を掴む
　営業とは何だろうか。私は三つのポイントがあると考えている。
　まず押さえなければならないのは、給料についての認識である。辞書には事業主が使用人に対して払う報酬とあり、給料は会社からもらっているという認識が一般的だが、それは間違いである。給料はお客様からいただくものである。
　二つ目は、営業とは単に物を売りさばくことではない。お客様の問題を解決するソリューション・ビジネスであることを心得なければならない。
　ドラッカーは企業の目的を顧客の創造と説いているが、これは営業にそのまま当てはまる定義である。駅前に立って一万円札を九千五百円で売ればどんどん売れるだろう。しかし一万円札を一万十円で売るのが営業である。そのためにはその価格に納得していただけるだけの付加価値をお客様に提供しなければならないのである。
　三つ目は継続力である。
　将棋で前人未踏の七冠を成し遂げた羽生善治氏は、「才能とは情熱や努力を継続できる力」とおっしゃっている。営業もコツコツと弛まぬ努力を続けた者こそが勝利を掴む。そこへプラス・ワンの努力を加えると、成功はより確かなものになる。
　例えばきょう予定していた十本の電話をかけ終え、さて帰ろうかという時に思い直してもう一本かけてみる。そのもう一本で注文がとれたりするものなのだ。一週間で五本、ひと月で二十本、プラス・ワンの努力の積み重ねは、いずれ大きな財産となって返ってくる。
　一所懸命努力していると、いろんな壁にもぶつかるだろう。しかしそこで立ち止まって悩んでいても物事は解決しない。行動してこそ物事は前へ動き出すものだ。そして迷ったらしんどいほうの道を選ぶこと。これを若い頃から鉄則としてきたことで、実力も養われ、運も味方にすることができた。
　全力疾走ができるのは若いうちだけ。このことを自覚して、とにかく自分の仕事に精一杯打ち込んでほしい。自分の入りたい会社に入れなくとも悩むことはない。実際、その会社が将来にわたって存続する保証はまったくないのだ。就社ではなく、本来の意味での就職へと頭を切り替え、縁あって入った会社で、与えられた職に全力を尽くし、その職においては一日も早くプロの域に達することである。
　私の義父は丁稚奉公からたたき上げて青果業で成功を収め、群馬県の業界理事長まで務めた人物だった。義父と酒を飲むと、いつも壊れたテープレコーダーのごとく「上見て励め、下見て暮らせ」と繰り返し言い聞かされた。理想を高く掲げ、辛い時には自分より苦しい立場の人を思って気持ちを切り替え、頑張ってほしいとの願いであった。その後決まって言われたのが次の言葉だった。
「励みこそ生きる道。怠りこそは死の道なり。勤しみ励む者は死することなく、怠りに耽る者はよし命ありとも既に死せるなり」
　二十代の若い方々にぜひ知っていただきたい言葉であるとともに、私自身も改めて心に刻み、これからもさらに前進し続けたい。

つだ・あきら　　昭和１９年福井県生まれ。早稲田大学商学部卒業後、野村證券入社。６２年４３歳という異例の若さで取締役大阪支店長に抜擢。平成８年専務。１１年日本合同ファイナンス副社長。１４年野村インベスター・リレーションズ会長。１７年日本ベンチャーキャピタル社長。２１年同社顧問。現在、日立キャピタル取締役、酉島製作所監査役、宝印刷取締役、ジェイエヌシー取締役会長ほか、数社の役員を務める。著書に『どんな人にも大切な「売る力」ノート』（かんき出版）があり、今春、中国版が発売される。

『致知』2012年4月号（致知出版社発行）より、御許可を得て転載しました。

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   <title>見捨てたものではない若者　と　見捨てたものの政治</title>
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   <published>2012-03-13T02:34:33Z</published>
   <updated>2012-03-13T03:39:06Z</updated>
   
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       　記録的な大地震と大津波に原子力発電の深刻な事故が重なった未曽有の複合災害にみまわれてから早くも１年がたった。尊い命を失われた方々のご冥福を祈るととともに、被災者の方々のご苦労、復旧・復興活動に携わっておられる地元役所・警察・消防団の方々、あるいは命がけで原発安定化に取り組んでおられる現場職員・作業員の方々に深い尊敬の念をささげたい。
　この１年間で全く景色が変わった。安全と安心と電力は空気と同じでどこにでもあると思っていたものが根底から覆され、自分一人では生きていけないこともハッキリした。　                                                    　(理事　早川成信）

      　私自身の世の中の見方も変わった。その最たるものは「日本の若者は見捨てたものではない」ということだ。大震災前の私の目には、多くの若者達は、「自分勝手で」「他人とか社会のことなぞどうでもよく」「ものもマナーも知らず」、「ただチャラチャラして」「自分を含め将来のことなぞ考えない」「短絡的な」存在、としか映らなかった。

　しかし、この１年間の日本の若者達はどうだったろう。震災直後から多くの若者がボランティアとして現地に飛び、どれだけ被災者の支えになってくれたことだろう。ボランタリー活動を通じて現地復興の役に立とうと定住してくれた人も多数いると聞く。支援募金でも、赤い羽募金とは比べものにならないくらい若者の数が多い。少ない所得を割いて寄付を行ってくれている。ＴＶ・新聞などで見聞する若者の声も、心底被災者を悼み、被災地の１日も早い復興を願っているように感じられる。
若者達は、言葉の使い方・表現する方法を知らず、社会常識を学ばず、に来ただけなのかも知れない。願わくば、自分たちの将来を考え今後を過ごして欲しい。若者たちが大丈夫なら、日本の未来も大丈夫のはずだ。

　それに引き換え、この１年、最もダラシナク、信頼を失うどころか笑いものになったのが政治だ。復旧・復興を推進するどころか邪魔をしている。まず中央官庁。いっこく堂よろしく経済が判らない財務大臣（人形）を通じて財政再建を主導している。日本は今大怪我をしているのだ。結核も併発している。糖尿病が怖いからと云って栄養補給しなくてどうするのだ。それこそ「病気は治ったが患者は死んだ」ことになってしまう。
よしんば、金がなくても物事は進められる。ガンジガラメの規制を変えればよいはずだ、現場を見ずして現場のニーズが判るはずがない。霞が関でふんぞり返って、現場の切実な規制変更・運用変化の願いに耳をかさない。先日ＴＶで、総務省から釜石市支援で出向したが復興の一助になろうとキャリア経歴を捨てて市職員になった方（３０才台と見受けられたが）が「平時向けに作られた規制は非常時には使えない。柔軟な対応があってしかるべきではないか」と遠慮気味に云っておられたが、正に大非常時に「何をやっているのだ」と云いたくなる。

　役所以上に足を引っ張っているのが政治だ。政府・官邸がだらしない、なぞとよく云えたものだ。政治屋は政局を好む、という。この１年間、この大非常時にもかかわらず政局に明け暮れた。被災地以外の代議士は次の選挙対策しか頭になく、いつの間にか新幹線も高速道路も建設が決まってしまった。権力基盤を死守するため党が決めたことに反対の烽火をあげ「今でも権力を握っている」と誇示している人もいる。こんな人に「国家のために」なぞと云ってもらいたくない。野党も政権奪回だけが目的なのか、補正予算、２４年度予算の審議を長くストップさせてしまった。被災地は今カネがいるのだ。ＴＶでの国会中継を見ていると、よくもこんな下らない質問・答弁に時間をかけているものだと感心する。余程暇なのだろう。かけがえのない１年間を空費してしまった罪は重い。

　隠れてボランタリー活動を継続してきた芸能人が、この１年間の感想を聞かれ「遅すぎます。遅すぎるが故に死ななくても良かった多くの人の命を奪ってしまいました」と云っていた。重い言葉だ。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（２０１２年３月１２日　記）

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   <title>たかが営業、されど営業―営業は人生の如し―</title>
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   <published>2012-03-13T01:58:17Z</published>
   <updated>2012-03-19T02:28:00Z</updated>
   
   <summary>　営業とは、物を売る商売ではなくソリューションビジネスである。営業と販売は混同さ...</summary>
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      　営業とは、物を売る商売ではなくソリューションビジネスである。営業と販売は混同されることが多いが実は全く異なり、販売は売れる物を売りさばくことであり、営業は営利や利益を目指して行う事業である。　（理事　津田晃）
      <![CDATA[　日本電産㈱代表取締役社長永守重信氏は「世界一安くて性能が良く、絶対に壊れない物を作れば、営業マンは要らない」と言われたが、その通りだと思う。
　また、給料を払ってくれるのはお客様であることを理解していなければならない。お客様が払ってくれているのだから、お客様のために一生懸命働くのは当たり前のことである。

<strong>１．修</strong>
　人の成長段階を分かりやすく表した言葉に、世阿弥の「修・破・離」がある。企業では、「修」は自己研鑽に努力する、「破」は経営レベルで行動する、「離」は業界や日本経済を考えるレベルとなろう。
　人間は、能力の差はあっても３倍程度だろうが、意欲には100倍の差が出る。私は営業目標の達成には持続力が必要だと思っているが、まさに持続力は意欲によって培われるもので、「修」のステージでは必要不可欠と言える。
　石川遼選手とイチロー選手が小学校卒業時に書いた作文をみると、目標が極めて明瞭であり、夢を実現するために何をしなければならないかが非常に具体的に示されていることに気づく。
　また、アメリカのコーチング協会がトップビジネスマンに成功の理由を尋ねたところ、7割がOn the Job Trainingと答えた。OJTなら行っていると言われるかもしれないが、On the JobはしていてもTrainingができていない会社がほとんどである。Trainingでは、たとえば10の仕事を12にして負荷を掛け、いろいろなことを吸収していく。
　１９９６年に前人未到の七冠を達成した羽生善治は、強さの秘訣を聞かれて「三流の人は人の話を聞かない。二流の人は人の話を聞く。一流の人は人の話を聞いて実行する。超一流の人は人の話を聞いて工夫する。私はまだ超一流ではない」と答えた。そして「一つのことを継続して出来る人間が優秀な人間である」と言った。
　このように、目標に向かってOn the Job Trainingの中で負荷を掛けながら持続的に自分を磨くのが「修」の段階なのである。私は『四季報』を毎日３ページ12銘柄ずつ暗記し、本間宗久の『酒田五法は風林火山』を熟読した。

<strong>２．破</strong>
　「破」の段階、つまり経営職になると、部下を磨き、組織を動かしていかなければならなくなる。このステージで必要とされるのが「三現主義」と「三切り」の思考である。「三現主義」は本田宗一郎氏がよく使った言葉で、問題が起こったら現場に行って現実と現物を見る。これは人を育て、問題を解決するのに非常に役に立つ。「三切る」は大学の教授から教わったことで、「人生には三切りが必要。踏み切ったなら割り切ってやってみろ。それで駄目なら思い切ればよい」というもので、私の行動指針になっている。
　また、この時期、「駑馬十駕」という考え方も欠かせない。駿馬は一晩で千里走るが、駑馬でも10日あれば千里走ることができる。すなわち「功を焦るな」ということである。日本には創業200年以上の企業が3,500社、100年以上なら５万社もあるが、いずれも過度な成長を求めないで今日まできている。
　王選手を育てた荒川コーチは、パンツ1枚でバットを振らせたそうだが、裸になると無駄に力を入れている箇所が分かる。私も部下を育てる時にはお互いの弱い部分を出し合う、裸の付き合いを心掛けているが、人を育てるにはそこまで絆を深めて真剣に向き合わなければならない。元・野村證券㈱代表取締役社長田淵義久氏は12の能力を持つ人が11しか発揮していないと叱り、３の能力しかない人が４頑張ればすごく褒めていた。これは部下の能力を正しく把握しなければできないことで、深い絆を必要とする。

<strong>３．離</strong>
　「離」の領域で必要とされるものは、心臓外科の権威であった榊原仟教授が提唱された「若さを保つ五箇条（好奇心・投機心・歩くこと・色気・腹七分目）」に当てはめると分かりやすい。
企業も人間も、常に好奇心を持ち、然るべき時には何かに賭けて、情報を集め、魅力的で、且つ常に節度を持っていなければいけない。
　また、「離」のステージの人間には、変える勇気(変革)と変えない勇気(伝統)が求められる。南極大陸横断を試みた英国の冒険家のアーネスト・シャクルトンは、２７人の部下と共に１年８カ月間の漂流の末、無事帰還するが、それは彼が栄光を目前にしながら人命を優先して引き返すという勇気ある決断を下したからであった、その結果ナイトの称号を得た。
　
<strong>４．結び</strong>
　朝日新聞の「日本の百年企業」に、長寿企業の経営者が大切にしている信念を表す漢字一字が多い順に、信・誠・継・心・真・和・変・新・忍・質として挙げられている。利や商、儲という文字は入っていない。このことは、我々が仕事をしていく上での大きな示唆となるだろう。
　顧客ニーズはクレームから拾うことができる。アドボカシーマーケティングを基本に、お客さまから磨かれる営業であってほしい。


　津田理事が一般社団法人「企業研究会」（Business Research Institute）で行った講演を御許可を得て転載しました。
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   <title>麻雀のルーツを探って⑤</title>
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   <published>2011-11-17T04:39:39Z</published>
   <updated>2011-11-17T04:49:29Z</updated>
   
   <summary>－麻雀用語誕生逸話－ 　雀用語の中の寧波方言について、寧波麻雀博物館の資料では以...</summary>
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      <![CDATA[<strong>－麻雀用語誕生逸話－</strong>

　雀用語の中の寧波方言について、寧波麻雀博物館の資料では以下のように記されている。

　昔から発達していた寧波の航海業は麻雀の整理統合と深くかかわってきた。帆船時代、七つの海で航海を無事に行うのは、並大抵なことではなく、総ては風次第であった。
　陳魚門の麻雀用語の作成にあたっては、地元主要産業である航海業と日常生活が密接な関係があることに由来した事が多かったという。　（理事　栗原道男）
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      ［索子牌］・・船のロープと漁網に起源。
［筒子牌］・・船上の水や食料を入れる樽に起源。
［萬子牌］・・船上生活者の財や富への切望に起源。
［風　牌］・・海運、漁業者などの風に対する敏感さに起源。
［碰］・・・・船が衝突しあう事。
［停･（聴）］　船が帰港する事。
［麻雀］・・・スズメのこと。船上でスズメを見ることが出来れば陸地が近づいた証拠。　　　　

　これに対し、内陸の蘇州出身者の友人に聞いてみると、麻雀用語は農業に由来して生まれたことが多いという。

　［索子牌］は竹であり、一索は竹林に住む鳥「麻雀」（すずめ）である。
もしロープが語源であるならば。英語訳でrope だが実際の呼称はbaｍboo(竹）で図柄も竹の節目を表している。　　　　　　　　

　[筒子牌]は樽ならばbuckets だが circle(輪、筒)である。これは鳥が農作物を食べてしまうので、害鳥駆除の銃口の筒を表している。北京や大連など北方では主食の焼餅の形に似ていることから「餅子牌」と言う。　　　　　

　［中］「白」［發］については、鉄砲が獲物に当たれば的中の［中］、外れは中国語で白なので「白」、当たれば獲物が手に入り、儲かるので［発財］の［発］とした。

　その他、北京や西安などでの「後宮美女由来説」も面白い。
　始皇帝の阿房宮には数千人の美女がいた。その出身地別に「東・西・南・北」に分けた。
　更に、肌の色で、雪のように白い肌は白令美の「白」、薄緑色の透き通るような妖艶な肌を緑発とし「發」、牡丹や桃花の紅をさしたような美女、紅中を「中」とした。

　更に、豊満美女は樽に似て楊貴妃のように肥えているので［筒子］、痩身、柳腰の傾国の美女「西施」のようなタイプは竹のようにしなやかなので「索子」、利発で計算高い西太后のような女を「萬子」としたという説もある。

　「花牌」は１３６枚以外の牌だが、現在では、広東式や台湾式で、「春・夏・秋・冬」「牡丹・菊・梅・蘭」など８枚、または１６枚をボーナス牌として入れ、プレーしている。これを「花麻雀」と呼ぶ。ボーナス牌の分だけ賭博性が強い。
　一方、日本や上海、北京などは陳魚門が整理統合した１３６枚、花牌なしの落ち着いた麻雀を主としており、これを「清麻雀」と呼んでいる。

　現在一般に行われている「飲まない、吸わない、賭けない」をモットウにした「日本健康麻将協会」が主催する健康麻雀の用語は「麻将」に統一されている。
　（ちなみに麻雀は中国語でmaqie,　麻将は中国語でmajiang、英語ではmahjongという）

　健康麻将はアルツハイマー等の防止、一人、個室にとどまらず社交性の向上につながるとして、各自治体や団地の自治会などの老人クラブでも盛況である。

　中国では、体育局の管轄で毎年全国健康競技麻雀大会が開催され、四年に一度は世界大会も開催されている。　　

　古来、中国では一人で楽しむ時は「琴」、二人で楽しむときは「囲碁」、皆で楽しむ時は「麻雀」とされている。

　親の死に目にも会えず、はたまた卓上での憤死にならないような、節度ある健康マージャンを楽しんでいただきたいものである。

&lt;麻雀あれこれ＞

１．七対子・・・・・元は米国ルール広東式にはない。北京、上海ではあり。
２．緑一色・・・・・all green米国ルールの役満。広東式はあり、北方はなし。
３．一盃口、二盃口・中国ではこの種の上がり役はなし。
４．振聴・・・・・・中国では自分が捨てた牌でも当たれるが、当たるとブーイング
                    がすごい。
５．鶏・・・・・・・中国式では手牌に役なしであっても、頭と三枚づつの組み合わせ
　　　　　　　　　　が出来れば、何でもあがれる。一翻の半分。
６．大車輪・・・・・米国ルール、筒子の面前清一色の七対子、中国にはなし。
　　　　　　　　　　日本も公式ルールにない。
７．一気通貫・・・・中国では「一条龍」（イー　テイアオ　ロン）という。　
８．四喜和・・・・・中国では「四喜臨門」（スー　シー　リン　メン）。
　　　　　　　　　　風牌の役満、東・南・西・北、全て揃えば「大四喜」。
９．国士無双・・・・中国では「十三麼九」（シー　サン　ヤオヤコー）
１０．九連宝灯・・・中国では「天衣無縫」（テイエン　イ　ウ　フォン）
１１．搶　槓　・・・中国では「金鶏奪食」（ジン　ジ　ダオ　シー）

（　）内のカタカナは中国語読み。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　栗原道男・・・完・・・

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   <title>麻雀のルーツを探って④</title>
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   <published>2011-11-16T03:51:50Z</published>
   <updated>2011-11-16T03:56:07Z</updated>
   
   <summary>－麻雀の誕生と暴発的な伝播－ 　清朝・咸豊年間にそれまで一世を風靡していた「馬吊...</summary>
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      <![CDATA[<strong>－麻雀の誕生と暴発的な伝播－</strong>

　清朝・咸豊年間にそれまで一世を風靡していた「馬吊」は寧波の文人陳魚門（チェンユイメン）によって整理再編された。　（理事　栗原道男）]]>
      　陳魚門（１８１７～１８７８）は、名は政鈅、号は仰楼といった。
　鄞城の人で幼少時から才知抜群だった。少年期には楊啓堂に英語を習い、道光29年（１８４９）に清朝の「貢士」となった。その後、功績が認められ、「内閣中書」に任命され、官職も「三品」に昇進した。陳氏は広く各界の人々と交友し、琴や酒の欠けた日はなく、大の遊び人であった。
　紙牌にも精通していた。同治三年（１８４６）に、紙牌を獣骨竹牌に変えた。そして、碰和牌の「萬」・「索」・「筒」の合計１０８枚をそのまま採用したうえで、花牌「紅花」・「白花」・「老千」を「紅中」・「白板」「緑發」に改名し、「三箭」（弓矢の矢・三本の矢の意）と名付け、それぞれ四枚、計１２枚とした。

　当時、寧波は清国の対外貿易五港、随一の隆盛を誇っていた港湾都市であった。
　町には貿易商人や船員、漁民も多く、風向きは庶民の生活に深く密着していた。そんなことから、陳氏は風牌「東」・「南」・「西」・「北」四種、それぞれ四枚計１６枚を増設し、ここに１３６枚の麻雀が完成したのである。

　[清稗類鈔・賭博類・叉麻雀]によれば「麻雀も葉子(紙牌)」の一種で麻雀を打つことを『叉麻雀』という。
　麻雀は瞬く間に全国の商店、家庭、業界会館などはもとより、旅館や酒場、妓楼にまで伝播されたと記載されている。
注：葉子は書物に注記や、書き込みを加える際に使用した木の葉（葉子）のような紙片のこと。紙牌がこの紙片に似ていたので通称「葉子」となった。

　太平天国の頃、陳魚門は「善後局」を主宰し、社会奉仕などの為に資金集めもしたが、その交際手段としても麻雀を活用した。陳は英国寧波総領事館の領事・夏福礼と親友になり、ときどき一緒に麻雀を楽しんだ。

　西洋で最初に麻雀が伝播した国は米国であった。安徽省出身の戈昆化（グオ　クンフアー）は上海米国総領事館に二年間勤務した後、1865年に寧波に移住し、英国寧波総領事館に
　十五年間在籍した。この間、戈は寧波の陳魚門、陳励、章忻鋆など有名人と深く付き合った。
　彼は麻雀術に精通するだけではなく、唐時代から伝わるサイコロ遊戯（すごろく）の「戯擲昇官図」などの詩文も書いた多才な人物であった。
　その後、彼は、中国人初の教授としてハーバード大学で教鞭をとった。彼の伝授を通じて、麻雀はまず米国の知識人に広がり、ハーバード大学のキャンパスで大流行した。その結果、米国は西洋諸国の中で最も早く「全国麻雀連盟」が組織化された。

日本への伝播について、日本健康麻雀協会の普及本によると：

　明治４１年日露戦争の翌々年、中国、雲南の師範学堂にいた、樺太の太白中学校教頭の奈川彦作が、麻雀牌一式を持ち帰り、帰国後同僚や学生たちに披露したのが、日本における最初の麻雀といわれている。その後、平山三郎は青島で習得した麻雀を日本に持ち帰り、大正１３年に東京の芝で麻雀教示所「南南倶楽部」を開設、これが日本で最初の営業店になったといわれている。

　青島帰りの空閑（くが）緑は、昭和二年、四谷に会員制倶楽部「東京麻雀会」開設した。この年、平山は銀座にも進出し、麻雀クラブ「南山荘」を開設し、麻雀の営業面での定着に尽力した。一方空閑は麻雀を競技として考え、競技者の組織化に尽力した。
　当時、神楽坂の「カフェ・ランタン」が東京の麻雀愛好家のメッカで、文士の菊池寛、久米正雄や洋画家の松山省三、松竹女優の松井千枝子らが常連であった。

　大正末期から昭和初期にかけ、鎌倉在住の文士たちの間で麻雀が盛んに行われた。日本への麻雀の伝播は、上海、青島、大連など中国ルートと米国等からがあり、ルールも各グループ毎にまちまちで、統一されていなかった。鎌倉文士の中でも、久米正雄は大変熱心な麻雀愛好家、研究家であった。彼らは、鎌倉駅裏口にあった「星月倶楽部」を根拠地にして、仲間たちと競技規則の検討、ルールの改正、打法の研究など行った。そして、彼らの考えを基に昭和四年に「日本麻雀連盟」が設立された。
　初代総裁に菊池寛が就任、二代目に久米正雄が就任した。昭和七年には会員数が早くも二十数万人に急増したが、戦時中には一時的に衰退した。

　昭和４０年代頃から爆発的なブームが到来したが、バブル崩壊と共に下火になった。昨今では、定年退職者などを中心に、健康麻雀ブームが始まっている。
　また、日本麻雀連盟などは普及策として、女流プロ（二階堂姉妹、黒沢咲，和泉由希子、米国人ジヨオンなどの美人プロ）も育成し、若い女性の間でも静かなブームが始まっている。

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   <title>麻雀のルーツを探って③</title>
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   <published>2011-11-15T01:19:38Z</published>
   <updated>2011-11-15T01:22:11Z</updated>
   
   <summary>この辺で本題に戻る。 －大衆に浸透していた博戯－ 　寧波市の対外経済委員会の友人...</summary>
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   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.e-partners.co.jp/blog/">
      <![CDATA[この辺で本題に戻る。

<strong>－大衆に浸透していた博戯－</strong>

　寧波市の対外経済委員会の友人の陳炳良さんが、2003年に寧波市駐日経済貿易代表事務所長になった。着任祝いに簡単な夕食会を設営した。
　数週間たったころ、陳さんから「宴席時麻雀のルーツについて聞かれたが、最近寧波に、
中国初の麻雀博物館が開館された。館長に問い合わせたところ、麻雀のルーツを研究した小冊子が博物館より出されたので、一部郵送する」という電話があった。冊子には中国の遊戯ゲーム、博戯の生い立ちを秦朝の頃から詳しく書いてあった。　（理事　栗原道男）
]]>
      　それによれば麻雀は、明末から清朝初期にかけて、大衆に広く浸透していた博戯「紙牌」「馬吊」を基に、陳魚門（チエン　ユイメン）によって集大成された。
以下小冊子の要約を纏めてみる。

　麻雀は「馬将」、「麻雀牌」ともいい、清朝から今日に至るまで、庶民の娯楽道具として、こよなく愛し続けられている大衆ゲームである。
麻雀は「紙牌」と「骨牌」の特徴を融合して生まれた「馬吊」を基とした新しいゲームである。
　当時爆発的に流行していた「馬吊」をベースに「碰和牌」と「黙和牌」の中の「萬」、「索」、「筒」をそのまま継承した。
　又「紙牌」の「紅花」、「白花」、「老千」をそれぞれ「中」、「白」、「發」と改めた。
　その上に、「風牌」四種類を新たに導入した。
　従来の紙牌では、摩耗など損傷が激しいうえに、船上や屋外では風に飛ばされやすいなどの欠点があったため、「宣和牌」の骨牌様式を取り入れた。

　更に、「彩選」（双六ゲーム)の投子（サイコロ）を取り入れた。
　サイコロゲームは双六や数字の出目を競い合う「大小」「丁半」などが唐時代から隆盛となり、現在の六面体となった。材質も焼き物から獣骨が主流となった。
　清代の趙翼の「弦余叢孝」によれば、唐の玄宗皇帝と楊貴妃たちが「昇官図」という双六を楽しんでいたが、皇帝の負けが込んできた。起死回生するには四が出ることだった。皇帝は四・四と大声で叫びながらサイコロを投げたところ、偶然四が出た。皇帝は大いに喜んで臣下の高力士を呼び寄せ、サイコロの四に「賜緋」の恩賞を与えよと命じた。それまでサイコロの数字は一と六のみが赤で、残りの数はすべて黒点で表わされていた。これを機に中国のサイコロは四も赤色に変わったという。

　明朝末期、庶民の間では「碰和牌」が流行していたが、紙牌が120枚もあり煩雑だった。これをより簡素化した博戯「馬吊」［マーテイアオ］が考案され、当初船員や漁民を中心に愛好されていたが、庶民の間にも浸透、爆発的な流行となった。
　清朝の知識人達、とりわけ尤伺は「戒賭文」の中で「馬吊遊戯」は亡国の前兆と社会の狂乱ぶりを戒める警告を発し、奸臣らが国を乱す禍を「馬吊用語」に組込んでいると不吉な予測をした。時が経つに連れ、不幸にもその予測はますます的中していった。
　官僚も庶民も仕事を放り投げ「馬吊」に熱中。中には親が死んでも葬式を忘れるほどの狂乱ぶりであった。
　「馬吊」は紙牌なので欠点も多かった。摩耗や船上や屋外では風に飛ばされるなど改良すべき点も多かった。
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   <title>麻雀のルーツを探って②</title>
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   <published>2011-11-11T01:47:06Z</published>
   <updated>2011-11-11T01:53:47Z</updated>
   
   <summary>国際化黎明期の体験談・・・(続) 　　　－麻雀の誕生を醸成した江南文化－ 　香港...</summary>
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      <![CDATA[<strong>国際化黎明期の体験談・・・(続)
　　　－麻雀の誕生を醸成した江南文化－</strong>

　香港転勤時の壮行会の席上、入社以来お世話になった上司から、キミは麻雀をやらないが、暇があったら麻雀のルーツを調べてくれと言われていた。
　そんなわけで、広東人や上海人の麻雀好きな人に麻雀のルーツについて何度か聞いてみた。何人かは、「１５０年くらい前、上海か寧波または蘇州辺りで生まれたようだ。それ以上は知らない。ゲームを楽しめばそれで良いだろう」という答えであった。 （理事　栗原道男）
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      　あまりにポピュラー過ぎて麻雀の入門書さえ売ってない。彼らにすればどこで、だれが考えたのか関係ない。囲碁や将棋の生い立ちなども知っている者は殆どいないという。

　後年、上海の花園飯店プロジェクトの担当になり、市内の「復興公園」の正門地近くのマンションに住んでいたことがあった。このマンションは外国人用に建造された上海の最新式の建物であったが、実際は窓のサッシは隙間だらけで、冬には容赦なく寒風が吹き込んできた。
　夏は暑さに耐えきれず、扇風機を買ったが、一時間もしないうちにモーターが過熱し黒煙を噴き出してしまった。停電や断水、下水の配管詰りなど日常茶飯事であった。
マンションには中国が誇る上海製のエレベーターが三基も据え付けられていたが、しょっちゅう故障していた。ひとたび閉じ込められたらいつ脱出できるか判らないので、多くの日本人は階段を利用していた。

　休日の朝は夜明けとともにジャズダンスの騒音で目が覚めた。此の頃は健康志向と外国の新文化に浮かれた人が多く、人民の間ではダンスが大流行していた。
　週末は、国営企業の党会議の後、各ダンスの講習会や懇親会をやるところが多かった。
　そのためか不倫も多く、同僚の中国人は「最近、上海人の離婚率がフランス、米国並みに高くなってしまった」と嘆いていた。
　何しろ世界三大性書の一つといわれる［金瓶梅］を生んだ由緒ある大国である。歴代の皇帝、女帝から偉大な指導者「毛沢東主席」に至るまでの御乱行振りは筆舌に尽くしがたいものがある。公園には、伝統の太極拳や武術など心身の鍛練を静かにやっている老夫婦なども多かった。公園の出口地付近の楠の老木の下で、粗末な茣蓙の上に古い麻雀牌が並べられていた。
　手作りの椅子には破れかけた人民服を纏ったお爺さんが俯いて座っていた。並べられた牌を良く見ると古びた紅木の箱に螺鈿で「正宗四馬路麻雀廠」とあった。
　聴けば上海の外灘（バンド）の老舗の麻雀店に丁稚奉公、その後プロのジャン士になった。新生中国では失業し、町の清掃員として暮らしている。最近ようやく、路地販売なども可能になったので古い牌を集めて売っているとのことだった。

　彼の弁によると；
　庶民の牌は牛骨に竹の甲羅を付け縦横に蟻溝（奥が広い食い込み）を入れ、骨牌と竹が完全に密着し、絶対にずれない物が最も良品と言われていた。
　四馬路正宗麻雀店の物が最高だった。使い勝手が良く、摸牌してもずれることはなく、皆から大変好まれた。高級品は象骨、象牙を使用した。
注：正宗（本家本元という意）
　麻雀牌は注意深く観察すると表面の文字や図柄も色々と工夫を凝らしてある。
　筒子の丸の中に福という細密字を彫込んだもの、一索は孔雀や鳳凰、両索以下の牌はすべて発財（金儲けの意）の「發」を竹のように細く彫り込んだもの等である。萬子の文字も書体が千差万別で楷書、行書、篆書スタイルなど実に多彩である。
　この老人は専門的な観点から収集しているので、ときどき珍品も並べてあった。値段も手頃だったので数セットを購入し、愛好家の友人へ手土産にした。彼は、麻雀牌を集めるなら、単に古いものや象牙を集めるのではなく、前述の点に注意すれば、良品に巡り会えると言っていた。

　ホテル開業後、黄酒の本場の浙江省寧波や紹興、山東省の青島麦酒（ビール）の醸造工場等を訪問したことがあった。当時、中国各地を訪問すると、街角や公園、観光地など、沢山の人だかりがあり、中では囲碁や麻雀を楽しんでいた。

　寧波は、日本の遣唐使等の受け入れ港で、中国で最も古い港湾都市であり、世界の華僑輩出の古都であった。隣接する紹興は鑑湖という良質の泉水に恵まれ黄酒、いわゆる紹興酒の名産地である。

　このあたり一帯は、江南の安定した気候と豊饒な食物に恵まれ、古くから「天に天国、地に江蘇」と歌われたほどの居住環境の良いところで、中国文化の中心地のひとつでもある。江南の覇権を争う、呉（蘇州）越（杭州）の戦いも有名である。
　日本の文化への影響も大きい。呉服や日本語の原点の一つの呉韻、などがその例である。諺の「呉越同舟」や「臥薪嘗胆」などもここから生まれた。
　周恩来、蒋介石や魯迅、世界一の船主のＹＫパオなどの故郷でもある。禅宗の総本山の天童子や、世界最古の図書館もある。

　紹興市郊外には中国を代表する名園「蘭亭」がある。庭園の中には書聖として敬われた王羲之の石碑「蘭亭序」がある。庭園は竹林に囲まれ、広々とした芝生の庭には、近くの山からの泉水が、ゆったりと蛇行しながら流れている。　　
　竹林の七賢人がこの庭園のせせらぎに觴（平べったい素焼きの盃）を浮かべ、作詩を競い合い、優雅に即興の吟詠を楽しんだという［曲水流觴の宴］の発祥の地でもある。
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