国際化黎明期の体験談・・・(続)
-麻雀の誕生を醸成した江南文化-
香港転勤時の壮行会の席上、入社以来お世話になった上司から、キミは麻雀をやらないが、暇があったら麻雀のルーツを調べてくれと言われていた。
そんなわけで、広東人や上海人の麻雀好きな人に麻雀のルーツについて何度か聞いてみた。何人かは、「150年くらい前、上海か寧波または蘇州辺りで生まれたようだ。それ以上は知らない。ゲームを楽しめばそれで良いだろう」という答えであった。 (理事 栗原道男)
あまりにポピュラー過ぎて麻雀の入門書さえ売ってない。彼らにすればどこで、だれが考えたのか関係ない。囲碁や将棋の生い立ちなども知っている者は殆どいないという。
後年、上海の花園飯店プロジェクトの担当になり、市内の「復興公園」の正門地近くのマンションに住んでいたことがあった。このマンションは外国人用に建造された上海の最新式の建物であったが、実際は窓のサッシは隙間だらけで、冬には容赦なく寒風が吹き込んできた。
夏は暑さに耐えきれず、扇風機を買ったが、一時間もしないうちにモーターが過熱し黒煙を噴き出してしまった。停電や断水、下水の配管詰りなど日常茶飯事であった。
マンションには中国が誇る上海製のエレベーターが三基も据え付けられていたが、しょっちゅう故障していた。ひとたび閉じ込められたらいつ脱出できるか判らないので、多くの日本人は階段を利用していた。
休日の朝は夜明けとともにジャズダンスの騒音で目が覚めた。此の頃は健康志向と外国の新文化に浮かれた人が多く、人民の間ではダンスが大流行していた。
週末は、国営企業の党会議の後、各ダンスの講習会や懇親会をやるところが多かった。
そのためか不倫も多く、同僚の中国人は「最近、上海人の離婚率がフランス、米国並みに高くなってしまった」と嘆いていた。
何しろ世界三大性書の一つといわれる[金瓶梅]を生んだ由緒ある大国である。歴代の皇帝、女帝から偉大な指導者「毛沢東主席」に至るまでの御乱行振りは筆舌に尽くしがたいものがある。公園には、伝統の太極拳や武術など心身の鍛練を静かにやっている老夫婦なども多かった。公園の出口地付近の楠の老木の下で、粗末な茣蓙の上に古い麻雀牌が並べられていた。
手作りの椅子には破れかけた人民服を纏ったお爺さんが俯いて座っていた。並べられた牌を良く見ると古びた紅木の箱に螺鈿で「正宗四馬路麻雀廠」とあった。
聴けば上海の外灘(バンド)の老舗の麻雀店に丁稚奉公、その後プロのジャン士になった。新生中国では失業し、町の清掃員として暮らしている。最近ようやく、路地販売なども可能になったので古い牌を集めて売っているとのことだった。
彼の弁によると;
庶民の牌は牛骨に竹の甲羅を付け縦横に蟻溝(奥が広い食い込み)を入れ、骨牌と竹が完全に密着し、絶対にずれない物が最も良品と言われていた。
四馬路正宗麻雀店の物が最高だった。使い勝手が良く、摸牌してもずれることはなく、皆から大変好まれた。高級品は象骨、象牙を使用した。
注:正宗(本家本元という意)
麻雀牌は注意深く観察すると表面の文字や図柄も色々と工夫を凝らしてある。
筒子の丸の中に福という細密字を彫込んだもの、一索は孔雀や鳳凰、両索以下の牌はすべて発財(金儲けの意)の「發」を竹のように細く彫り込んだもの等である。萬子の文字も書体が千差万別で楷書、行書、篆書スタイルなど実に多彩である。
この老人は専門的な観点から収集しているので、ときどき珍品も並べてあった。値段も手頃だったので数セットを購入し、愛好家の友人へ手土産にした。彼は、麻雀牌を集めるなら、単に古いものや象牙を集めるのではなく、前述の点に注意すれば、良品に巡り会えると言っていた。
ホテル開業後、黄酒の本場の浙江省寧波や紹興、山東省の青島麦酒(ビール)の醸造工場等を訪問したことがあった。当時、中国各地を訪問すると、街角や公園、観光地など、沢山の人だかりがあり、中では囲碁や麻雀を楽しんでいた。
寧波は、日本の遣唐使等の受け入れ港で、中国で最も古い港湾都市であり、世界の華僑輩出の古都であった。隣接する紹興は鑑湖という良質の泉水に恵まれ黄酒、いわゆる紹興酒の名産地である。
このあたり一帯は、江南の安定した気候と豊饒な食物に恵まれ、古くから「天に天国、地に江蘇」と歌われたほどの居住環境の良いところで、中国文化の中心地のひとつでもある。江南の覇権を争う、呉(蘇州)越(杭州)の戦いも有名である。
日本の文化への影響も大きい。呉服や日本語の原点の一つの呉韻、などがその例である。諺の「呉越同舟」や「臥薪嘗胆」などもここから生まれた。
周恩来、蒋介石や魯迅、世界一の船主のYKパオなどの故郷でもある。禅宗の総本山の天童子や、世界最古の図書館もある。
紹興市郊外には中国を代表する名園「蘭亭」がある。庭園の中には書聖として敬われた王羲之の石碑「蘭亭序」がある。庭園は竹林に囲まれ、広々とした芝生の庭には、近くの山からの泉水が、ゆったりと蛇行しながら流れている。
竹林の七賢人がこの庭園のせせらぎに觴(平べったい素焼きの盃)を浮かべ、作詩を競い合い、優雅に即興の吟詠を楽しんだという[曲水流觴の宴]の発祥の地でもある。