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2011年11月 バックナンバー
国際化黎明期の体験談-生活に密着した香港の麻雀-
2004年野村中国投資を退職、三十年もの長きにわたって中国圏での仕事にたづさわる事ができたのも何かの縁であった。
1974年の4月に香港へ転勤した。当時香港現地法人は野村の出資比率51%の合弁会社であった。現地の株主はアジアの富豪の華僑資産家たちであった。例えば、香港の発券銀行のうちの一行である、恒生銀行のオーナー会長、東南アジア最大の商業銀行であるバンコック銀行のS.陳会長、地元の上海商業銀行のKK.陳会長や東亜銀行の李会長などがいた。 (理事 栗原道男)
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国際化黎明期の体験談・・・(続)
-麻雀の誕生を醸成した江南文化-
香港転勤時の壮行会の席上、入社以来お世話になった上司から、キミは麻雀をやらないが、暇があったら麻雀のルーツを調べてくれと言われていた。
そんなわけで、広東人や上海人の麻雀好きな人に麻雀のルーツについて何度か聞いてみた。何人かは、「150年くらい前、上海か寧波または蘇州辺りで生まれたようだ。それ以上は知らない。ゲームを楽しめばそれで良いだろう」という答えであった。 (理事 栗原道男)
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この辺で本題に戻る。
-大衆に浸透していた博戯-
寧波市の対外経済委員会の友人の陳炳良さんが、2003年に寧波市駐日経済貿易代表事務所長になった。着任祝いに簡単な夕食会を設営した。
数週間たったころ、陳さんから「宴席時麻雀のルーツについて聞かれたが、最近寧波に、
中国初の麻雀博物館が開館された。館長に問い合わせたところ、麻雀のルーツを研究した小冊子が博物館より出されたので、一部郵送する」という電話があった。冊子には中国の遊戯ゲーム、博戯の生い立ちを秦朝の頃から詳しく書いてあった。 (理事 栗原道男)
» "麻雀のルーツを探って③" の続きを読む
-麻雀の誕生と暴発的な伝播-
清朝・咸豊年間にそれまで一世を風靡していた「馬吊」は寧波の文人陳魚門(チェンユイメン)によって整理再編された。 (理事 栗原道男)
» "麻雀のルーツを探って④" の続きを読む
-麻雀用語誕生逸話-
雀用語の中の寧波方言について、寧波麻雀博物館の資料では以下のように記されている。
昔から発達していた寧波の航海業は麻雀の整理統合と深くかかわってきた。帆船時代、七つの海で航海を無事に行うのは、並大抵なことではなく、総ては風次第であった。
陳魚門の麻雀用語の作成にあたっては、地元主要産業である航海業と日常生活が密接な関係があることに由来した事が多かったという。 (理事 栗原道男)
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