東京電力福島第一原子力発電所の事故で、関東地方は深刻な電力不足に見舞われている。ここでは、電力の問題を考えてみたい。 (早川成信)
我が国の電力需要は「失われた20年」にも関わらず右肩上がりで増加してきた。電気事業連合会(電事連)の統計によれば電力消費量は1970年度の2,599億Kwhから、1980年度4,364億Kwh、1990年度6,589億Kwh、2000年度8,379億Kwh、2007年度には9,195億Kwhと1兆Kwhに迫った。さすがにリーマン・ショック後は電力消費も落ち込み2009年度は8,985億Kwhであった。
この旺盛な電力需要を満たすため、9電力中心に発電能力も飛躍的に高まった。発電能力(最大出力)および実際の発電量は下表のとおりだが、70年代以降、石油価格高騰から、石油燃料による発電は極力抑え、需要期のバッファー的存在となっている。また、自家発電は主にJR、製鉄、化学、大型商業ビルなどだが、能力の増加ペースは鈍っている。
90年代以降、日本の電力は3割が原子力によって生み出されており、いつの間にか、原子力に頼る時代になっていた。確かに原子力は熱出力が高く、建設コストは高いが運転コストは少ないし、CO2の排出もない。幸い深刻な事故も少なかったことから、いつの間にか「クリーン・エネルギー」と云われ、次代の電力源の柱になっていた(現在稼働中54基4,885万Kwh;建設中2基276万Kwh、着工準備中12基1,655万Kwh)。しかし、ひとたび暴走し始めると、核燃料は放射線という恐ろしい副作用を生み、そのコントロールも極めて難しくなる。その処理にも気が遠くなるような長期間が必要となる。原子力利用という「国民の選択」が改めて問われていると云えよう。
ここで素朴な疑問だが、経済成長力が大きく鈍った90年代以降も何故電力消費量が伸び続けたのだろうか? 人口減少と生産の海外移転が加速化される今後10年間に、更に3,000万Kwhの能力増が本当に必要なのだろうか?
再び電事連の統計で需要内訳を見てみよう(ちなみに電事連の統計は極めて判りづらい。2000年度以降の度重なる電力自由化の度に、新制度に合った統計しか発表されていないため、時系列的に見てみようとしても無理である。・・・原子力の安全性・必要性はくどい位説明しているのだが・・・)
①電事連によると電力市場は以下のように分類される
●特別高圧・・2,000KW以上;契約口数0.9万口;使用電力量2,191億Kwh(シェア27%)
大規模工場(コンビナートなど);大型店舗・ホテル・大型ビル・病院・大学など
●高圧B産業用・・500KW以上;2万口;728億Kwh(9%)・・中規模工場
●高圧A産業用・・50KW以上;27万口;718億Kwh(9%)・・小規模工場
●高圧業務用・・・500KW以上;2万口;435億Kwh(5%)・・スーパー・中小ビル
・・・50KW以上;43万口;1,194億Kwh(14%)・・スーパー・中小ビル
●低圧電力・・・・50KW未満;630万口;385億Kwh(5%)・・・町工場
●電灯・・・・・・50KW未満;7,000万口;2,597億Kwh(31%)・・家庭・コンビニなど
②時系列で見ると(別の分類になるが・・・単位;億Kwh、倍)
ここから伺い知れることは
●電力消費量は90年ごろまでは確かに大きく伸びたが、それ以降の伸びは低い。製造業の海外移転(国内の工場数は激減傾向)、省力・省エネが大きく進んだことが、その理由か
●日本の脱工業化は着実に進んでいる。製造業の電力消費は高原状況にある。
●製造業においては重厚長大から自動車・電機・事務機器などの機械産業にシフトしている
●大型商業施設などの伸びが著しい。都市再開発によるビルの大型化とオール電化の故か
●その他には前出分類の、高圧A産業用・高圧業務用・低圧が含まれると推測されるが、この伸びの多くの部分は業務用すなわち中小型オフィス、スーパーなどの伸びによると思われる
●電灯の伸びが著しい。コンビニの異常なまでの普及や、家庭での電化によるものか。
ちなみに、家庭での電力消費は、エアコン25%、照明16%、冷蔵庫15%、TV10%が大口で、乾燥機(5%)、電気カーペット(4%)、便座(4%)などが続く。待機電力は7%もあるという。
確かに便利になった。自分自身の生活を振り返っても、
*起床 電気かみそりと電気歯ブラシで身支度をし、トイレに入れば便器は自動的に蓋を開け終わればウォシュレットだ・・・昔は自然循環型
*駅 エスカレータで楽だ。電車も3~5分間隔だ・・・田舎では今でも1時間に2~3本
*会社 全館冷暖房で照明も万全だ。パソコン・コピー機もいつもスタンバイ・・昔は暑かった
*買い物 徒歩5分圏内にコンビニが3つほどある。24時間営業だ。自動販売機は半径50m圏内
にいくつもある。お店の店内にまである。店員さんに頼めば良いのに。デパート・スーパ
―はお客さんはまばらだが9~11時頃まで開いている。照明も煌々としている・・・・
共稼ぎ・一人世帯が増えたせいか。昔はセブン&イレブン、売れない自販機も少なかった
*帰宅 IH調理器で料理し、電子レンジでチン、昨日の残りも美味しく食べられる。洗濯は全自動、エコキュートで風呂も自動で沸かしてくれる・・・昔はオフクロが苦労していた
*就寝 TVは24時間、ケーブルで20以上の番組が見れる。TVゲームも大はやり、ネットを見始めたら時間を忘れる。・・・睡眠不足になるハズだ。
我々都会人は、便利に慣れすぎているのかも知れない。企業も、過当競争に余りにも流されすぎているのかも知れない。需要の論理といいながら供給の論理を押し付けすぎてはいないか。
電力は水・空気と同じくらい不可欠なものである。したがって、今後も発電能力のある程度の増強は
必要かも知れない。問題は、そのエネルギー源をどうするかであろう。現在稼働中の原子力発電所4,888
万Kwhでさえ、その稼働の継続には反発が予想される。化石燃料に戻ることは、化石燃料の有限性・
価格高騰騰・CO2排出の観点から非現実的である。地熱・潮力・風力・太陽光などの新エネルギーが
早期にとって代わる存在になるとも考えにくい。とすれば、原子力政策を根底から見直し、建設から運
営まで厳しい基準を設けるよりほかはないように思われる。
核燃料の危険性からすれば「想定外」という言葉は当てはまらない。「想定のレベル」は「想定の数
千倍」であるハズだ。