国際会計基準に関する多くの書籍が、急に書店に並び始めて約半年がたった。SOX法が一巡し、暇になった大手会計事務所が次の食いぶちを求めているのではないかというような光景が展開されている。しかしながら、国際会計基準の根本にある考え方となると、これら数多くの書籍から読み取るのは難しいのではないだろうか。特に日本の企業経営に意識改革を迫る部分に関する記述をしたものは、ほとんど見当たらないといってよいのではないかと感じている。そこで、私なりに国際会計基準に関して解釈してみた。 (理事 加用久男)
まず国際会計基準では、「企業の支配下にあるかどうか」を重視する。即ち、誰がリスクを負うか、さらに企業グループ内では、どのリスクをどの事業がとるのかを明確にして事業運営を行う。そのために、当然支配下にある資産をどう測定評価し、それを今後にどう活かして経営するかという発想が出てくる。いわゆるBS重視と一言で言われているものである。これからは、中途半端な持株で企業支配もしないでリスクも取らないという発想は出てこない。子会社化か、株式運用事業をはっきりと持つことになるのだろう。
また、販売時点の認識の差異により、売り上げ計上基準が販売基準から到着基準に変わるといわれていて(実際の基準にはこうは書かれていない)実務上相当な負担を増すと思われるが、これらもこの支配・リスクという観点で見るとよく理解できる。
また、旧ダイエーのように土地値上がりを利用しながらスーパー事業を発展させるというのは、異質のリスクを持ちながら事業を運営することになるので、スーパーの事業と、不動産業とははっきり分離して別事業の運営を行うということになると思われる。
誤解を懼れずに言えば、これらが実際に現れたのがGEの金融事業であり、その対極にあったのが松下(現パナソニック)の経理部門であったのかもしれない
勿論、支配下の資産も明確に事業に張り付けるので、一事業の一生を明確にするために事業のリストラ費用は事業に割り振るので、利益でいえば営業利益に反映される。現在でも米国基準を採用している企業の営業利益は、日本基準の営業利益とは全く異なるケースが出てくる(2006、7年度の「富士フィルム」)。今までの日本企業の考えているような、会社の存亡にかかわるコストは、全社で負担(特別損失)しようという発想は生まれてこない。
これらを明確にする「マネジメント・アプローチ」が、出てくるのは当然で、事業担当責任者の権限・責任は明確になり、社長以外の経営陣の緊張感もますます高まることと思われる。これに対応しているのではないかと思われる日本企業は私の知る範囲では、唯一「武田薬品」ぐらいしか見当たらない。外部に発表するものが、内部で把握しているものと異なるなどということは許されなくなると思われる。
日本的経営と言われるものが全て否定されるとは思わないが、この流れを単に、包括利益の導入とか、PL重視からBS重視に変わるのだと片付けているわけにはいかないのが、国際会計基準の導入である。単なる会計基準の変更を超えたものだと経営者が充分に認識しなければ、日本企業は変革に呑みこまれてしまうことになるだろう。新政権になって後ろ向きな声も聞こえてきているが、もう賽は投げられていて流れは変わらないのである。