民主党政権の誕生
去る8月30日の衆議院議員選挙で、民主党が圧倒的な勝利を得て、1993年の細川政権発足以来の政権交代となった。これを、国民の民主党マニュフェストへの期待とみるか、自民党の驕りに対する鉄槌とみるか、意見の分かれるところであろう。しかし、筆者は、歴史的必然、ないし、長期的な思想サイクルの結果ではなかろうかと解釈している。 (理事 早川成信)
そもそも、1980年代以降世界の政治・経済をリードしてきた「市場原理主義・完全競争主義・自己責任主義・成果主義・小さな政府主義などを主軸とするアングロサクソン型資本主義」は限界に近づいた、と云われてきた。各国ともに所得格差・地域格差の拡大、社会保障の行き詰まりに悩み、その解決策を模索している。そしてシステムの破綻の最大の象徴として、昨年来の世界同時金融危機・経済危機が到来した、と指摘するムキが多い。つまり、「経済的自由権(私的財産権・契約の自由)に裏付けられ、市場における競争を通じて需要と供給を調整すべく、資本が投下され、その資本が利潤や剰余価値を生む社会システム」と定義される資本主義が、現在最も優れた社会システムであることには疑いがない。しかし、人間の欲望には際限がないがゆえに、資本主義に矛盾・問題点が内包するのも事実であり、時として、その矛盾が思いもよらない大きな危機を招くことがある、というのである。市場原理主義が失敗した今日、これに代わる資本主義モデルを模索するのは当然の動きで、その動きの大きなうねりが今回の政権交代につながった、と筆者は解釈するのである。
ここで思い浮かぶのは、本プログ3月24日に掲載した「シベリアからの予言」で紹介したコンドラチェフ・サイクルである。コンドラチェフ・サイクルは50年±の長期物価・金利サイクル(従って経済活力サイクル)であるが、マルクスの「上部構造・下部構造」ではないが、経済活力と社会思想は密接不可分であり、経済の各局面に応じて社会思想も循環的に変遷する、と指摘する学者も多い。
すなわち、物価(そして経済活力)は長期的には、上昇20~25年、下降20~25年で循環的に推移する(第一波動=1791-1814-1843;第二波動=1843-1864-1896;第三波動=1896-1920-1946;第四波動=1946-1974-2002;第五波動=2002-○○―○○)が、上昇期には前期と後期があり、天井期、下降前期・後期を経て、大底圏を形成し、次のサイクルに入っていく。そして、過去の各時期には社会思想的に見ても驚くほど類似した傾向が見られた。
上昇前期・・・大衆主義的思想がリードし、社会福祉政策が進む。
国家財政支出は拡大し、大きな政府を志向
上昇後期・・・資源・製品・労働への需要過多の中、リベラル傾斜に。
公平の理論の下、資産格差・所得格差は縮小
天井圏・・・・・国際競争が厳しくなり、市場主義が台頭し、経済優先的になる。
下降前期・・・保守主義が台頭し、市場原理主義的経済運営に
福祉政策を見直し、「公平」に代わって「公正」が理論的主柱に
下降後期・・・経済活動の低迷から格差は拡大、弱者対策も後手に
大衆の政治批判高まる。独裁者を生む下地ともなる
大底圏・・・・・大衆・弱者の立場が強調され、新しい社会理念が生まれる
市場原理主義が廃され、資本主義の修正が求められる
民主党の立ち位置は明らかに「弱者救済」である。納税者・生活者・消費者・労働者・中小企業等々、の不満・不具合解消を政策に掲げて選挙を戦ってきた。コンドラチェフ・サイクルが大底圏から上昇前期に入ってきている今日、このような訴えが選挙民の思いにかなったのは、ひょっとすると当然なのかもしれない。
では、どのような資本主義モデルに修正されていくのだろうか?浅学な筆者には予想もつかないが、鍵となるのは「所得再配分」を巡る議論であろうことは間違いなかろう。所得再配分は、低所得者にも階層の上昇の機会と公平性をもたらす一手段であり、現代民主主義国家に必要不可欠な要素である。もちろん、どの水準による再分配が適切と言えるかは、それぞれの文化における価値観によって異なり、富の再分配にどのような手法を使うかも各国の事情によって異なる。生活保護制度は、「所得の多い人」から「所得の少ない人」への所得再分配であり、医療保険制度は、医療サービスの利用を通じて、主として保険料を財源とした 「健康な人」から「病気の人」への所得再配分である。行き過ぎた再分配は、生活の不安定性を解消する反面労働意欲を阻害し、経済全体としてのアウトプットの低下を招くとする立場もある。経済の効用に重きを置いた「アングロ・サクソン・モデル」がそれで、現在その反省期に入っていることは前述のとおりである。多分、長期的には、福祉国家政策 ⇒財政負担増加⇒市場経済主義というサイクルを描く、と理解しておけばよいのかもしれない。
さしあたって、新しい政権の下、規制・介入・牽制および社会的コストの増大は覚悟しておいたほうが良いように思われる。企業の社会的責任が強く求められる、といっても良い。企業は、雇用慣行・製造責任・営業手法・取引先との関係・環境保全などについて、法令順守という意識以上のコンプライアンス体制・モラル向上を求められ、それを担保するガバナンスの強化も求められる時代に入ったように思われる。