ギリシャ神話によれば、神々の中の主神ゼウスは世の中の全ての醜いもの・災いを、一つの「箱」の中に押し込めた。それを好奇心に負けた美女パンドラが開けてしまい、疫病、犯罪、悲嘆といった災いが世の中飛び出てしまった。箱の中に唯一残ったのは「絶望」であり、そのおかげで、人類は幾多の災難に巡り合いながらも「絶望せずに」生きてこられた、とのことである。この神話から、世の中には開けてはいけない、開けてしまうと世の中に大変な混乱をもたらすものがあり、それを「パンドラの箱」と云うようになった。
(理事 早川 成信)
今世紀に入りわずか8年あまりであるにも拘わらず、世界は2回も「パンドラの箱」を開けてしまった。1回目はSeptember Eleven。2001年9月11日のイスラム過激派によるニューヨーク・ワールド・トレードセンターへの航空機による自爆テロによって、世の中は全く異質なものになってしまった。その後の米国を中心としたアフガニスタン、イラク攻撃、それに対するロンドン、マドリードなどでの報復テロ、そして今日では至る所でテロ攻撃が頻発し、多くの市民が巻き添えとなって命を失っている。人々は「安心」という最も重要な幸を失い「疑心暗鬼」という醜いものに取り付かれてしまった。
2回目は言うまでもなく2008年の金融危機である。象徴的には9月15日に米ポールソン前財務長官が「安易に」リーマン・ブラザーズの破綻を容認してしまい、それを契機に世界の金融システムへの不信は臨界に達してしまった。主に米国のサブプライムローンなど住宅ローン・商業用不動産ローン・レバレッジローンなどを「複雑に組み合わせた証券化商品」が世界中にばらまかれていた。一体どの金融商品が危険で、誰がどのくらい危険な商品を持っているのか、金融市場での「疑心暗鬼」は一気に広がり、金融取引も一気に縮小してしまった。資金調達は極度に困難になり、株式・債券・デリバティブスなど全ての金融商品の価格は急落、投資銀行・商業銀行・ヘッジファンド・年金基金などの金融市場でのプレーヤーは深刻な打撃を受けた。金融商品だけではない。石油・金属・穀物などの他の資産、あるいは、M&Aを対象に「投機」を行っていたものたちも、資金不足から投機を続けられず、結果は、それらの資産価格も急落し、奈落の底に堕ちてしまった。10月のワシントンでのG20、その後各国政府が相次いで発表した金融安定対策、景気刺激策によって、国際金融市場は「とりあえず」小康状態を保っているが、「100年に一度の大津波」への怯えは、そう簡単には払拭されるものではない。「大津波」すなわち、「金融危機という大地震」のあとに「世界的な景気後退という大高波」が襲来し、世界は更なる天変地異に怯えている。
世界経済にとっての脅威は以下の3点に要約される。第一は、金融危機はまだ終わってはいない、ということであろう。金融取引の健全性を伺う指標として、米ドルのLIBOR(ロンドンでの銀行間取引金利)からリスクのないTB(米国財務省証券)の金利を差し引いたものが、よく使われるが(各々3カ月もの)、さすがに08年9~10月の4%を超える異常水準から1%台に低下しているが、正常時の0.25~0.5%程度と比較して、まだ高止まっている。
問題は、危険と看做される金融商品の処理が終わっていないことである。IMFの推定(08年10月)によれば、世界のローン残高は12.3兆ドル、証券化商品の残高は10.8兆ドル、計23.2兆ドルが危険商品(うち住宅ローンに関連したものは10兆ドル)として残っている、とのことである。世界のGDPの実に38%にのぼり、その全てが損失につながるものではないにせよ、まだ天文学的な損失リスクを抱えていることになる。蛇足ながら付け加えると、欧州の銀行は新興国への貸付が多く、一部の国々で返済が困難な状況も想定され、こちらでも大きな損失を被るのではないかと危惧されている。
この結果、世界の金融機関の自己資本は著しく棄損されてしまった。自己資本が棄損されれば当然貸付余力も低下する。金融システム不信のなか、社債・コマーシャルペーパーなどの資本市場は機能不全をきたしており、金融機関の貸付余力の低下は、世界的なクレディット・クランチにつながりかねない。金融機関救済が焦眉の急となったのは当然である。各国ともに、公的資金注入を行っているが、これでは不十分で、英RBSのように国有化されるところもでてきた。米国では不良資産を分離する「バッド・バンク」構想も現実味を帯びてきているが、どの案をとるにせよ「国民の税金を使う」ことであり、民主主義体制での合意形成には困難を伴う。
なお日本の場合は若干状況が異なる。資本市場が機能不全になっているのは欧米と同じだが、金融機関の自己資本が存立を脅かされるほど棄損されたわけではない。むしろ、これまで順調だった不動産ローン、M&A関連ローンなどが行き詰まり、それに景気後退が重なり、金融機関の貸出姿勢が著しく厳しくなっているのが現状である。
第二の脅威は「実体経済回復の牽引車がない」ことであろう。これまでの世界経済の成長は、明らかに米国の「過剰消費」によって牽引されたものであった。世界銀行の統計によれば、07年の世界の名目GDPは54.3兆ドルで、うち米国13.8兆ドル、日本4.4兆ドル、ドイツ3.3兆ドル、中国3.3兆ドル、英国2.7兆ドル・・・と米国は抜きんでた存在である。そして米国のGDPに占める個人消費の比率は2000年ごろの67~8%から72~3%へと引き上がっている。明らかに過剰消費で、この過剰消費の恩恵で、日本、中国などアジア諸国、あるいは欧州、中南米諸国、世界中の輸出が潤い、各国の高い経済成長がもたらされた。更には、米国の過剰消費の恩恵で、この2~3年になってBRICsなど新興国はようやく内需主導の自立的な経済体制ができてきた、と云っても過言ではない。
ところで、米国の過剰消費を可能にしたのは「借金」である。米国家計の債務残高は全体で14兆ドル、可処分所得の実に140%、元利返済負担も14%に達してしまった。その多くは住宅ローンおよび住宅価格の値上がりを見越したホーム・エクイティ・ローンである。そこへ住宅バブルの崩壊すなわち住宅価格の急速な下落が到来した。もう「借金」を増やして生活を享楽し続けることは出来なくなった訳である。
08年夏以降、個人消費は急速に冷え込み、自動車、TVなどをはじめとする消費財の現地在庫も急速に積みあがってしまった。世界の輸出企業が一斉に在庫・生産調整に走ったのは当然の行動である。ただ、厄介なのは、個別企業の正しい行動も、経済全体としては必ずしも正しい回答とはならない、という「合成の誤謬」に陥ってしまったことである。各国ともに雇用情勢は悪化し、各国の個人消費の低迷、各国内での在庫・生産調整、更なる失業者の増加・・・という負の連鎖、ないし悪循環に陥ってしまった。輸出依存度の高い日本の08年10-12月期GDPが12.7%のマイナスと先進国最大の落ち込みとなったのも、いわば当然といえよう。
「各国の大型景気刺激策は有効に機能するのか」「米国の個人消費はいつ底を打つのか・・多くの予想は09年一杯はマイナス、本格回復は2010年末以降」「中国は本当に8%成長するのだろうか・・・一部政策効果が出てきたとの見方」「輸出主導型の日本は経済構造を転換出来るのだろうか」など不確定要素が山積みである。全治3年、下手をすると5~10年など、無責任な予言が続々と云われだした。
第三の脅威は「保護主義の誘惑」であろう。大恐慌時、各国が競って為替の切り下げ、関税引き上げを行った結果、世界貿易は1929年1月から33年3月まで毎年縮小し、3分の1になってしまった。今日の世界経済の結びつきは大恐慌時とは比較にならないくらい強く、大きい。保護主義が蔓延した時のダメージも大恐慌時とは比較にならないくらい大きいものが想定される。一方で各国ともに「税金」を使って国内経済を立ち直らそうとしている。いきおい、国内産業優先の誘惑がでてくる可能性も否定できない。米国での「バイ・アメリカン条項」「各国自動車企業への金融支援」「EUでの輸出補助金」「ロシア、南米各国での関税引き上げ」など、すでに「保護主義の萌芽」が見え始めた。WTOを核とした牽制機能、各国政府の自制がどの程度なのか、目を離せない。
以上みてきた三つの脅威のどれ一つが破裂しても、「津波第二波、第三波」となって世界を大混乱に巻き込んでしまいかねない。もっとも、大恐慌時とは決定的に異なる要素もある。①71年に米国が金本位制から離脱して以降、世界は「信用創造の足かせ」がなくなっており、政策の自由度が格段に高い、②かっては世界の富が米国に集中していたが、現在では16%、BRICsは7%・・・特に中国、インドの成長余力は強い、③かっては1920年ごろから経済は低迷しており「金融は引き金」、今回は「金融」ないし「デリバティブ」不況、世界的に見て供給能力の過剰も少ない、④グローバル化が進展した結果、国際的な連携・協調がとられている、⑤情報伝達が正確かつ著しく早くなったため、対応も正確かつ早くなった、などである。
日本経済の先行きについても、悲観説一色である。1-3月期のGDPも二桁マイナス、景気の底入れは早くて10-12月期、しかしその後も底這いを続け、本格回復は米国向け輸出が回復する2010年年末ごろ、というのが多数説である。これに対し超少数説ながら、①現在の急激な在庫調整は4-6月頃終了し、その後は適正な水準に生産が回復する、②円高・資源価格低下のプラス効果を過小評価すべきでない、③中国など新興国は相対的に高い成長を続けており、世界経済が云われている程大きく落ち込むことはない、などから、「逃げ水現象」の不安はあるものの、年内に回復に向かう、という見方もある。
企業は、この未曾有の景気後退に対応し、「緊急対策」に追われている。しかしながら、「日が昇らぬ夜」はない、の喩えとおり、「危機後を見据えた」戦略行動をも踏まえた「緊急対策」を行うべきではなかろうか。「パンドラの箱」は開いてしまったが「絶望せず」に「戦略」を見直す好機と考えられる。