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法の本質をわきまえて執行しよう(東日本大震災に思う⑩)

前回、非常時においては臨機応変な対応、場合によっては超法規的な対応が必要、と書いた。もう少し具体的な事例を示し、法ないし規制をどのように適応すべきかを考えてみたい。 (理事 早川成信)

●3月15日、自動車が津波で流された被災者がやむを得ず中古車を買おうとした。ところが、中古車販売店員は、申し訳なさそうに、「車庫証明」がなければ売ることができない、とのこと、役所に行っても同様な返事だった。車庫証明を出そうにも、家は海の下に沈没、車庫などない。そもそも、都会地ならば路上駐車が危険で車庫が必要だ。しかし、災害地で、全面平地、自動車を停めるところダラケの場所で、何故、車庫証明が必要なのか? 規制の趣旨を判っていれば、臨機応変に対応できるハズだ。しかし、法は一律的に規定しているが故に、例外を認めない(ないし例外と書いてあるもの以外は)。
●あるオーナー系の事業会社。義援金を出したいが、赤十字経由では時間がかかって仕方がない。困っている人達にジカにお金を渡したいが、それでは「お恵み」になってしまい、被災者の自尊心を傷つけてしまう。そこで工夫し「無利子・30年返済・ある時払いの催促なし」で貸付金のスキームを考えた。一種の消費者金融である。ところがこの申し出は、金融庁に回され、貸金業法に則った認可を受けろと云われた。貸金業法の狙う所は、悪質業者すなわち法外な金利を課し、異常な取り立てを行う業者を取り締まることのハズである。この申し出は無利子・催促なし、もとより返済を期待しない行為である。しかし、業法がある以上、それに従えという。
●津波被害について。瓦礫の類が復旧の妨げとなっている。道路上にあるものは、公道上の障害物であるから公費で除去するが、個人住宅内にあるものは、よそから流れてきたものでも、個人負担で除去しなければいけないそうだ。一番困ったのは、津波で流された自動車や漁船。遺失物法とかの規定で、私物であるがゆえに個人負担、まだ修理すれば使えるものだと、海までの移動コストは巨額になるが、個人負担だそうだ。所有者が行方不明の場合はもっと厄介だ。勝手に処分することは出来ない規定で、身動きできない。ようやく早期処分ができるようにするそうだが、まだ3ケ月くらいは待たなければならないそうだ。復旧の足枷のみならず、あのような悲惨な光景をいつまで見せ続ければ気が済むのだろう。
●住宅被害も同様である。全壊は補償の対象になるが半壊は個人負担で、その認定を設計士(建築防災協会の判定士?)に認定させるとか。設計士の数は限られているので時間がかかる。お金がなければ、それまで待て、危険で余震で崩壊し下敷きになる可能性があっても住め、住めなくて避難所暮らしになっても待て、というのが国交省の指示だそうだ。
●福島第一原発で活躍中の高さ58mから放水できる独プッツマイスター社製生コン圧送機、三重県四日市市の建設会社「中央建設」が所有する優れものである。同社社長がこの機械の使用を思いつき、申し入れたところ、使用業者からの発注書・警察の道路使用許可などが必要と云われたとか。社長はあきらめず地元の公明党議員を通じて経産省・政府に働きかけ、3日を空費してしまったと怒っていた。本来なら東電・政府からお願いするのが筋だ。3月17日にこのアイディアが一部もれ始め、ようやく19日になって使用が決定された。一刻を争う事態にもかかわらず、悠長なことだった。官僚主義の最たるものといえよう。

 法・規制は、それが制定されたときの事情、制定に至った経緯、その狙う所・本質をわきまえて執行すべきである、私が学生時代に学んだ法哲学・法学概論ではそう述べていた。現在は余りにも技術的・画一的になりすぎ、一体何のための規制なのか、何をどうするためにこの法・規制があるのか、をわきまえずに、機械的に適応しているように思われる。その咎がはからずも、今回の大震災で明らさまになった。
良い機会である。各法・規制の本質的見直しを行おう。きっと、無意味なものも出てくるだろうし、変えるべきもの、例外扱いを臨機応変に行うべきものが多数でてくるハズである。遅々として進まない規制緩和の第一歩としたい。

                             (2011年4月25日 記)

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