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シベリアからの預言

 20世紀初頭の旧ソビエト連邦に一人の統計経済学者がいた。その名は、ニコライ・ドミトリエビッチ・コンドラチェフ、かの偉大な経済学者カール・マルクスと同様に、景気・物価・利子率などの膨大な経済データの分析・解釈を行った。彼とマルクスとの差は、マルクスが経済分析の結果を一つの史観に集約させ、経済体制の進化・移行を主張したのに対し、彼は、経済の循環性を説いたことである。
                                                 (理事 早川 成信)
 

 すなわち、コンドラチェフによれば、近代資本主義が定着した(また、信頼できる経済統計が入手できる)1789年以降、物価(そして経済活力)は、上昇20-25年、下降20-25年、計50―55年のサイクルで変動している、と主張した。不幸なことに彼の発見は、資本主義は滅亡すると主張する時の権力者スターリンと相容れないものであった。結局1931年シベリアに強制収容され、38年に銃殺刑に処せられた。享年46才。
 
 コンドラチェフが発見し、その後シュムペーターなどによって定義された波動は以下のようなものである。(ただし、第四波動の谷は筆者の認識である)

        (谷)  (山)   (谷)  (上昇期) (下降期) (合計)
 第一波動  1791年  1814年  1843年   23年間   29年間  52年間
 第二波動  1843年  1864年  1896年   21年間   32年間  53年間
 第三波動  1896年  1920年  1946年   24年間   26年間  50年間
 第四波動  1946年  1974年  2002年?  28年間   28年間? 56年間
 第五波動  2002年

 コンドラチェフ・サイクルをより仔細に見てみると、上昇期、下降期とも初期と後期の2段階で形成され、さらにピークに達した後何年間かの天井圏を形成している。そして、各々の時期には共通した現象が起きている、というのである。

①上昇期・初期
   技術革新や新しい産業、新しい市場(ないしは国)の出現によって経済活動は活発なものになっ   ていく。そして、上昇が軌道に乗った時期から強烈な資源価格の上昇が始まる。
②上昇期・後期
   資源インフレによって成長力が削がれ、そのことによって資源価格は落ち着きを取り戻す。そして  工業品価格が穏やかに上昇する。新技術・新産業・新市場が大きく開花し経済は繁栄する。そし   て、上昇最終局面に至り、猛烈なインフレとなる。
③天井圏
   経済活動は低迷に転じるが、しばらくの間はインフレは収まらない。経済は短期間の好況・不況を  繰り返し、必ずしも低成長と云えない時期も経験する。経済活力の中間反騰と思わせるような現象  がおきる。
④下降・初期
   物価の落ち着き(ディス・インフレーション)が明確になる。経済活動自体は低成長ながら、際立っ  た不況には至らない。この時期は、実物資産より金融資産が選好され、最後には、強烈な土地投   機が起こる。
⑤下降・後期
   デフレ色が強まり、経済は混迷し、金融恐慌が起きる。政府は大規模なリフレ政策を余儀なくされ  る(時として戦争という最大のリフレ策と過剰能力の調整)が、同時に、次の波動の牽引力となる新  技術・新産業・新市場の芽が出始める。そして時間の経過とともに、徐々に最終局面を迎える。

          
 これを、我々がイメージしやすい第四波動、すなわち第二次世界大戦後の世界で振り返ってみよう。 ただし、コンドラチェフが定義したのは論文を発表した1926年(第三波動の山)までであり、その後については、学者によって様々な異なった時期の定義となっている。   

 恐らく、大恐慌から第二次大戦を経て、第四波動が1946年ごろから上昇局面に入り、第一次石油危機があった1970年代初頭にピークを迎えた、という時代認識には、大きな異論はないだろう。問題は、いつから本格的な下降局面に入り、いつボトムを迎えたか、ないし迎えようとしているか、である。

 筆者は、80年代初頭に下降・初期を迎え、90年代に下降・後期に陥り、2000年頃から、第五波動に入ったと見ている。80年代のディスインフレと世界の株式市場の活況、90年代に入ってからのデフレ圧力(とりわけ旧東欧諸国・新興国からの労働力)、アジア危機・ロシア危機・LTCM危機などの通貨・金融危機、ネット技術・バイオ技術の開花、新興国とりわけ中国の経済発展基盤の整備などが、そう考える理由である。そして、21世紀に入ってからの世界の高い経済成長、BRICsの飛躍、この2~3年の石油・資源価格の高騰は上昇・初期の現象と考える。

 これに対し、今が下降・後期に入ったばかり、という説もある。米国発の金融恐慌・その後の世界同時不況は、まさに大恐慌に匹敵するものであるという説である。この説に従えば、下降期間は35年以上、下手をすると40年も続き、コンドラチェフが唱える50年周期を大きく逸脱してしまう。こうした反論に対し、この説の支持者は、①71年に金本位制から離脱したことによって信用創造の足枷がなくなり景気サイクルが伸びた、②情報伝達スピードが著しく速くなり、企業・政府の対応も速くなった。このことにより通常の景気変動への抵抗力が強くなり、長期サイクルが伸びた、と主張する。


 いずれの説が正しかったかは、何年か後の歴史が証明することになろうが、仮に後者の説に立つにせよ、その説の論拠となる、①信用創造の足枷がなくなったこと・・・すなわち政府の景気対策余地は著しく大きくなった・・・効果がでるまで出しつづける、②情報伝達が速くなった・・・対応が速くなった・・・傷が大事に至らない前に処置、という点は、現在の景気後退が世界恐慌につながるものではなく、早晩落ち着きを取り戻すことを意味しよう。そして、下降・後期がこれまでのサイクルよりも短期間で終了する可能性をも示唆している。

 今景況感は真っ暗である。しかし、長期的視野を失ってはいけない。第五波動に入ったのか、入ろうとしているのか、いずれにせよ、次の時代を描き、準備し始める時期を迎えたことは間違いないと思われる。
                                                

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