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漢詩唱歌選「コラム」

2004年、30年間従事した中国、香港関係の業務を終え、定年退職した。
かつて、日中関係は、「近くて遠い国」であった。昨今でも、餃子問題などに代表される様に、相互不信感は改善されるどころか、むしろ増幅されている。
しかし、今や日中関係は、切っても切れない密接な関係になっている。特に経済面での交流は、日米関係をしのぐほどに拡大している。
これからも、この一衣帯水の関係は、ますます深化拡大していくことは必定である。こうした中で、小生のつたない現地での生活経験が膠着化した日中関係の理解促進に、少しでもお役に立てればと願い、日中に於ける「生活文化のルーツ」に絞って雑感をまとめてみた。
茶、酒、中華料理や文房四宝、麻雀などについて、我々は、日常生活の中に深く取り入れ楽しんでいるが、それらのルーツなど意外に知らないことが多い。
本コラムが日中文化の底流にある共通点を理解し、少しでも相互理解の促進につながる事が出来ればと願っている次第である。
                                          ㈱エグゼクティブ・パートナーズ (理事  栗原 道男)

I. 酒について

古詩と酒については切っても切れない関係にある。尾崎秀樹の「中国酒食春秋」によれば4000年前の戦国時代末期の「呂氏春秋」に儀狄(ぎてき・註1)が酒を造ったと記述がある。
周(BC1550ごろ)杜康(とこう)が現在の酒造りの方法を確立した。
その後、「杜康」は酒造りの神様と崇められ、「酒造神」伝説が広まり、酒造り職人の事を「杜氏」と呼ぶようになった。山西省には酒のことを「杜康」と呼ぶ風習が残っている。

孔子が纏めたといわれる「詩経」にも沢山の酒席にまつわる古詩が出てくる。
偉大な詩人で酒壺の中の仙人と言われた李白を始め、杜甫、孟浩然、陶淵明など、これらの有名詩人の酒にまつわる名詩は枚挙にいとまがない
ところで、中国で酒といえば、大別して黄酒と白酒がある。
「黄酒」は、日本では老酒(ラオチュウ)として古くから親しまれている黄色い酒で、醸造酒である。原料は主として大米(うるち米)、糯米(もち米)で其の他、黍(きび)などの雑穀も少々入っている。
「白酒」は、日本では日中国交回復祝賀会に田中首相と周恩来総理が乾杯した「茅台酒」が有名である。原料は、高粱、トウモロコシ、豆類など雑穀や米、小麦などで、無色透明に近い蒸留酒である。宋時代に起源を持つといわれている。白酒(白干ル)は中国の全酒造量の75%以上を占めている。
中国では老酒と言えば古酒(aged wine)であるが、酒類の総称としても使われている。

註1、 漢時代に編纂された「戦国策」によれば夏王朝(BC21~16)の頃、醴(ほう、甘酒の類、一夜酒)をベースに「濁り酒」を造り、禹大帝(水を制するものは天下を制すと言われた治水の神様)へ献上したのが酒造りの始まりとされている。

黄酒の本場は折江省の省都、杭州から車で1時間程の所にある紹興である。
古来、銘酒には名水がつき物である。
この地には鑑湖というミネラルを豊富に含んだ名水がある。
この水を使って酒造りすると醸造酒であっても十数年もつと言われている。

この町は中国が誇る小説家、革命家である魯迅の故郷でもある。
彼の地はかつて呉越の戦いの主戦場であった会稽山の近くにあり、越人は忍耐強い上に執着心も人一倍強く「臥薪嘗胆」そのものであると言われている。
温暖な気候の上に山紫水明で、上質の水があり、酒が旨く、傾国の美女「西施」を生んだ国でもある。2008年1月には「中国黄酒博物館」がオープンする。
紹興には水路の発達している古くて清潔な町並みがあり、古都の気品を漂わせている。
郊外には書道の神様「王羲之」を祭った廟と博物館がある。この公園の中には書道のバイブルとも言われる「蘭亭序」の石碑がある。
前庭には竹林の七賢人が「曲水流觴」の宴を張ったという優雅な庭園と竹林がある。
秋になると田んぼは酒の原料の赤米で辺り一面真っ赤な絨毯を敷き詰めたようになり、一見の価値ある風景である。

1990年代初めに何度かこの町の老舗の酒造工場を訪れた事がある。
ある時、工場長兼中国ナンバーワンと言われる杜氏の案内で酒造工場の見学をし、
魯迅の小説で一躍有名になった「咸享酒家」(かんきょうしゅか)で、野菜と川魚主体の質素な昼食をご馳走になった。
外見上、決して綺麗とは思えない素焼きの甕に入った琥珀色の紹興酒を、何十年も使い古した瓦カケのような觴(ショウ・・平べったい小皿のような盃)に並々と注いでくれた。香りも色もよく常温でご馳走になった。口に含んだ時の甘い香りが全身にしみこむような香ばしさは今でも忘れられない味である。酒の肴は塩茹でのそら豆であった。
酒のウマさを味わうのはこの飲み方が一番良いとのことであった。

日本の中華料理店では老酒を熱燗にし、氷砂糖や干梅などと一緒に飲ます所が多い。
杜氏に聞いたところ、黄酒は常温で添加物なしで飲むものだと言われた。
その後、某大手ホテルの有名中華料理の広東人シェフに聞いた話では、酒という字はサンズイにフルトリ(酉)と書くが、酉は酒壺をあらわし液体が入っている状態が「酒」である。
中国から銘酒を輸入しても昔の輸送手段や保管方法から、途中で酒の品質が劣化したり、在庫が古くなってしまったりして、とてもその侭では売り物にならない。
何とかしなければ元手資金も回収できないと考えた苦肉の策が、「干梅や氷砂糖」を添える事になったとの事であった。
ちなみに酒が古くなる(昔)と「醋」(日本語の酢)になってしまう。
最近、日本でも、常温の紹興酒に添え物を付けないで出す中華料理店が増えつつある。

閑話休題であるが、長年疑問に思っていた「花彫酒」と「加飯酒」の区別についてもくだんの杜氏に聞いてみたが通説とは大違いであった。
香港勤務時代、殆ど毎晩中華料理の宴会浸りであったが、接待宴のときは「花彫酒」を使い、社内や友人達との会合は「加飯酒」を飲んでいた。
香港や台湾のレストランの厨師(シェフ)や服務員に聞いても、「花彫酒」は綺麗な装飾のある甕に入っているが、「加飯酒」は土甕だ。
花彫りは高級酒なので金持ちが高級料理を食べる時に飲むものだ。
接待の時は花彫りにしなさいと言われていた。

然し、事実はまったく左にあらず。
黄酒は醸造するときから原料や中身、醸造方法に至るまで何等特別な仕様は一切行っていない。全く同じ工程であるが、輸出用なので甕だけ換えたとのことであった。

中国文化にも大変造詣の深い、在上海日本国総領事の蓮見先生も「花彫りと加飯酒」について、香港や台湾での通説が誤っている旨、日本人会の機関紙に紹介されていた。
ガーデン・ホテル開業後は天安門事件にまつわる欧米、西側諸国の「中国人権問題」批判など、経済面においても対中ボイコットが始まった。
加えて、湾岸戦争が勃発し、テロを恐れて海外渡航は極端に減少してしまった。
この間、ホテルは開店休業状態の大ピンチに陥ったが、総領事ご夫婦はホテルの最初の宿泊者になって頂くなど、公私共に絶大な御支援を賜り衷心より感謝申し上げている。

ここで敢えて、花彫酒、加飯酒の味について言及すれば、同じ甕の中で上積みの部分は透通った琥珀色をしていてワインのような豊穣な味がするが、下積みになるに従い澱物などが増え味も変るとのことであった。
上海時代もよく宴席に出たが、江南の黄酒の銘酒と言えば、「善醸」「香雪」「女児紅」の三大紹興酒であった。特に「女児紅」は金持ちの家で、娘が生まれると黄酒を仕込み、娘の結婚式の時に開けて来客に振舞う酒である。昔は数え年13〜14歳位で結婚する風習だったので酒齢は12〜3年くらいの老酒である。

米を主原料にした醸造酒の中には黄酒のほか清酒もある。
紹興や寧波(ねいは・註2)でご馳走になった清酒は、日本酒とはかけ離れた味でコクがなく、薄っぺらな感じがした。
現地の愛飲者も少なく人気がないが、これが日本酒の原点であると説明受けた。
黄酒や清酒は醸造酒なので古くなると酸化し、酸っぱくなり飲み難く到底売り物などにはならない。
中国では嫉妬する事を「吃醋」(酢を食う)と言う。古女房には死ぬまで世話になりたいが、古くなりすぎた酒は飲みたくないものである。

註2、「寧波(ニンポー)市、」 浙江省の紹興から車で2時間ほどのところにある、東海に面した港町。
中国有数の古い港町で、かつては遣唐使など博多から寧波まで行き、後は陸路、長安などに向かっていったと言う。鑑真和尚がここから日本へ渡航したなど、日中往来の玄関口として広く知られている。
近くに禅宗の天童寺や、世界最古といわれる図書館などもある。ギリシャの船主王・オナシスと並んで、世界の船舶王といわれた香港のYKパオも当地の出身。寧波は福建、広東などと共に華僑の輩出拠点としても有名でもある。
最近は、寧波の北倫港近辺に、超大型化学プラントなどが相次いで建設され、上海周辺の工業地帯としても注目を浴びている。


<参考>

中国の白酒(蒸留酒、スピリッツ、焼酎の類)は、高粱、粟,トウモロコシなどの雑穀を主原料に造られ、地域性に富、蒸留法や原料によって、また漢方薬や動物のエキスなどを浸しこんだ薬膳酒等もあり、夫々強い個性を持った酒である。

以下主な銘酒白酒(アルコール度は45°~65°程度の物)と産地を列挙してみる:

茅台酒・・・貴州省茅台県
大曲酒・・・江蘇省羊河
汾 酒・・・山西省杏花村
二鍋頭・・・北京市
高粱酒・・・河北省天律市
五粮液・・・四川省宜寶
水井坊・・・四川省成都
凌川白酒・・大連市
五加皮・・・河北省天律市(薬味酒)
蓮花白酒・・北京市(薬味酒)
虎骨酒・・・北京市(薬膳酒)
参茸酒・・・北京市(薬膳酒)

注1:薬味酒は白酒をベースに主に漢方薬を入れた滋養補身の酒で、薬膳酒は漢方薬や動物のエキスなどを入れたスタミナ増強、滋養強精酒。

注2:一般的に白酒のアルコール度はきわめて高く、一気飲みすると喉越しの触感は大変よい。宴席では「日中友好の為」「健康を祝して」「合弁事業の発展を祈念して」などと諸々の理由をつけて、次から次に乾杯を仕掛けられ、飲み潰されるケースが多い。
泥酔しないコツは、乾杯する度に必ず鉱泉水(ミネラルウオーター)またはビールをコップに半分以上飲んで薄める事だ。

雲南やチベットなどの高地で酒を飲むときは、普段の酒量の三分の一程度に抑え、ゆっくり飲むことも大切だ。高地は空気が薄く酔いがまわるのが早い。
気が付けば意識不明や呼吸困難になって病院に担ぎ込まれる輩がなんと多いことか・・・。


一般的に、白酒は喉越しが大変よい。調子に乗って飲んでいると、突然腰が抜けて動けなくなる。
この段階では、まだ頭は冴えており、自分では酔っ払った感じが殆んどない。
自分の意思とはまったく無関係に突然、足腰が立たなくなるので始末が悪い。
汚い話だが、死にたくなければ次の処置をとることだ。
先ず、水を沢山飲んでから、一緒にいる仲間にお願いし、厠に連れて行ってもらい、指を喉の奥まで突っ込んで胃の中の残留物全てを吐き出す事。
数回繰り返した後は、飲めるだけ沢山の水を飲み、小便として排出させる。
排出したら又水を飲む、これを繰り返せば、翌日は軽い二日酔い程度まで回復する。
2005年の秋口であったか、北京で大変不幸な事件が起きた。
北京日本人会は「希望行程プロジェクト」と言って以前から、会員や賛助企業から寄付を募り、日中友好親善のために、毎年北京に近い山間部の農村に「学校」を寄付している。又、個別企業では日系の航空会社が毎年小学校舎を一棟寄贈していた。その航空会社の北京所長は、河北省のとある村に学校建設費を寄付しに行った。同行者は酒豪で屈強な部下だった。
彼の地では村長さん以下「これで我が村にも立派な学校が出来る」と大喜びで、村民総出で大歓待した。
白酒の乾杯に次ぐ乾杯が行われたという。
然し、帰りの車の中で酒豪の部下の様態が急変、漸く北京について病院に運び込まれ手当てを尽くしたが、時既に遅く、急性アルコール中毒で帰らぬ人となってしまった。
大変悲惨で残念な事件であった。
村から北京市内までは車で数時間の近距離であったようだが、その間、水を沢山飲んでいれば、ひょっとしたら助かっていたかもしれない。
中国の田舎には日本のようなドライブインや「道の駅」などほとんどない。
ちょっとしたガマンが命取りになってしまった。聞けばまだ結婚まもなくお子さんも小さかったようだ。
白酒の喉越しの良さに惑わされず、飲むときはくれぐれもご注意を!!
酒は飲み方によっては「狂い水、毒酒」になる事を肝に銘じて置くべきだ。

                            —完—


  栗原道男:(元上海市外資企業協会常務理事、
  花園飯店(上海)副理事長、
  野村中国投資専務取締役)

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